いろいろオタク活動して思うことは、人によって作品との距離感が違うなあということです。それは同じ作品を見ていても人によって違うし、同じ人でも別々の距離感で見ていることもあります。
今回は、「トリップ型」と「箱庭型」と仮に名付けて、その傾向について語ってみたいと思います
トリップ型
「受け手が物語の中に入り込む」という現象がトリップ型。
このわかりやすい例はポケモンシリーズだと思います。
ポケモンの主人公はしゃべらないし、設定らしい設定がない。ほぼ主人公=プレイヤーという図式になっています。だからかなりプレイヤーと作品の距離が近いなあと感じます。
あとはハリーポッターも読者と本の距離が近い感じがします。
ハリー・ポッターと賢者の石 - Harry Potter and the Philosopher's Stone (book 1)
- 出版社/メーカー: Pottermore Limited
- 発売日: 2013/06/27
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
ハリーがマグルに育てられたことで読者の視線に近い話になっているし、ファンの多くは「自分がホグワーツに行ったらどうするか」考えたくなりますよね。あとは世界観が現実世界と地続きになっていることもポイントだと思います。
これは私のなんとなくの実感だけれど、トリップ型の人は鬱展開耐性がないことが多い気がします。トリップしてるからガチに感情移入しているんだろうな……。
箱庭型
箱庭型は外側からキャラのいる世界を眺めているという距離感です。
人とは選択する作品が違う気がするけど、私が箱庭だな……と感じるのがフリーゲーム「冠を持つ神の手」です。
「レハト」という無個性プレイヤーキャラがいるんですけれど、こいつが結構不条理な選択肢、感情を持つことができる存在で、しかも そういう不条理なプレイをしないと見れないイベントやエンディングが多いんですよね。
作中でレハトが「神の使い」と称されるのですが、不条理ともいえる行動で攻略キャラにエンディングをもたらすところはマジで神の使いっぽいです。そういう意味で無個性主人公なのにプレイヤーと世界の距離は遠く感じます。
もう一つ、童話、民話が好きな人も箱庭的思考だな……と感じます。
童話や民話ってありえない展開が多いので、「現実的に考えてこんなの変」と思う人は楽しめないんですよね。民話が作られた社会的背景、国ごとの文化の違い、ナンセンスな世界観を考えないとなかなか面白くないんですが、それって結局物語を外側から見ないと見えないなあ……と思います。
箱庭型の人にとってキャラは共感すべき存在と言うより、かわいいおもちゃ感覚な気がします。もちろん愛がないわけではないんですが。
箱庭型の読み方をする人は、フィクションと現実の区別をきっちりつけるので、わりとえげつないブラックな話をげらげら読めると感じますね。
まとめ
これは私の個人的な感覚なので、そうでない人もいっぱいいると思います。ただ作品に対する距離感の違いも面白いよね、と思ってくれたら幸いです。
物語を作るとき、作品に対してどういう距離感を持ってほしいかということも考えてみると参考になるのかもしれない。
私は箱庭型が強いな~と感じますが、あなたはどっちでしょうか?