100年前の本にネタバレも何もないんだけど、まあ一応……。
あらすじ
偏屈でわがままな言語学者ヒギンズ。彼は訛りのひどい、下町の花売り少女を貴婦人に仕立て上げられるか賭けをする。花売り少女イライザは、持ち前の吸収力で上流階級の言葉を身に着けていくが……。
支配と愛情を混同するような男はクソ
『マイ・フェア・レディ』じゃないか、と思った方はご明察で、この本は映画『マイ・フェア・レディ』の元ネタです。こっちが元祖。
私は映画を見てないので、今回は『マイ・フェア・レディ』の話は脇に置いておきます。
最初にオチを書いてしまうと、ふたりはくっつきません! 終了!
が、ふたりがばっさり別れるまでの過程が面白いです。
まず初めに、イライザは学はないんですが、自立心の強い、しっかりした女性なんですね。
ヒギンスの元に来たきっかけも、花売りをやめて花屋の売り子に就職したいという動機でした。
花売り娘:ちゃんとした花屋の売り子になりてえんだ。トッテナム・コート・ロードの角に立って売るんじゃなくてさあ。でも、そういうのとかぁ、上品に喋んねえと雇っちゃくんねえんだよ。その人、教えてくれるっつっただろう? こっちだって、払うもんあらうっつってんだ
(P56)
しかしヒギンスはその自立心にまったく理解を示さず、かけ事の道具としてイライザを扱います。もうこの時点ですでにクソ野郎。
ヒギンスの教育を受け、上流階級の言葉を操るようになったイライザは、大使館のレセプションで上手にお嬢様を演じてのけました。しかし彼女に待っていたのは絶望でした。
彼女は上流階級の生活に触れ、路上で生活する人生には戻れなくなり、しかしながら、訛りを直すだけではひとりで生きていけるだけの能力は得られなかったからです。
自分の身を養うには「結婚」しかない――しかし自立心の強いイライザには、この状況は耐えられませんでした。
イライザ:私は花を売ってたけど、自分の身を売ったりはしなかった。でも、あなたにレディにしてもらった今、他に売れるものがあるかしら?あのまま拾わないでくれたらよかったのに。
(P176)
この後に及んでもヒギンスは、イライザの気持ちを全く理解していません。話すのは自分の考えたこと、自分の都合だけ。頭の中に、他人のことを入れる余地がないんでしょうね。
ヒギンズとイライザは大げんかをし、イライザはヒギンスから去っていきます。
ヒギンズと再会したイライザは、ふたたび言い争いをします。
ヒギンズはイライザがなぜ出て行ったのか、やはり理解できない。
ヒギンズ:考えているよ。人生のことも、人類の社会のことも。君たちもその一部であって、たまたま僕の人生に入ってきて、僕の家に据え付けられた。それ以上何が望みなんだ?
イライザ:わたしは、わたしのことを気にもかけない人のことなんか、気にもかけたくありません。
(P222)
ヒギンズはイライザのことを、一応好ましく思っています。しかしそれは、所有しているサボテンの花をかわいいと思うのとさほど変わりません。
ヒギンズは、花売り娘や賭けの対象だという前に、イライザがひとりの人間であり、相手の言葉に傷ついたり悩んだりする存在であることがよくわかっていません。だから平気でこんなことを言えます。
創造主(ピグマリオン)の支配から脱してイライザはハッピーエンド、かと思いきや、そうは問屋が卸さないことが後日譚でわかるんですが、そこは読んでからのお楽しみということで。
最高に面白いなと思ったのが、ロマンス物語へのアンチテーゼとして書かれていそうなところなんですおね。
恋愛小説で「性格的に問題のある男がヒロインに惚れてなんやかんやして結ばれる」っていうのが類型としてあるじゃないですか。
私はそれが地雷ってわけでもないんですが、たまに冷静になって、「こんなヤバい男とは恋愛しないほうがいい」と思います。
後日譚の部分にこういう一文があります。
イライザは、女は誰でも、実際にいたぶられたり叩かれたりするのは望んでいないにしろ、支配されたがっている、というバカげた妄想とは無縁である。
(P242)
「愛情と支配を履き違えるやつはクソだし、そんなやつとは結婚しないほうがいい」と物語の中で表現してくれるのは非常にスッキリしました。そしてそれが100年前の戯曲と言うのがすごいですね。
まとめ
すごく面白かったので、演劇でも見てみたいです。どこかでやっていたらチェックしたいですね。
恋愛小説に不満を持っている人の方が楽しめると思います。