ブックワームのひとりごと

読書中心に好きなものの話をするブログです。内容の転載はお断りします。

「本を読む子ども」が誕生する環境というものを教えてあげよう ~本好き一家に生まれるということ~

このブログには広告・アフィリエイトのリンクが含まれます。

f:id:kazura24:20181204075943j:plain

素材:Canva(https://www.canva.com/

 

私の家族は本好き一家です。上の姉をのぞいて家族全員が読書をします。

(上の姉はちょっと事情があって文字を読むのが苦手なのですが、その話はここではしません) 

定期的に「子どもが本を好きになる家庭はどのようなものか」という議論がなされるけれど、そういえば実際に本好き一家に生まれた人の体験談っていうのがないな、と思って書くことにしました

と言いつつ私は言語能力が高いタイプのアスペルガーなので、文章を読む能力はある程度生まれつきのものがあるのだけれど、環境がそれを高めたのも事実。

 

 

図書館と私

いつから本が好きだったのか、という記憶がそもそもありません。

本が好き、ということを意識し始めたころ、母は図書館の最大の貸し出し冊数8冊(現在は15冊)のうち、2冊子ども向けの本を借りて私のベッドに置いておいてくれました。

母の借りてくれたものは、なんでもとりあえず読みました。

母はあまり児童文学に興味がない人なので、感想を共有することはあまりなかったです。

例外はジュニア版の『ファーブル昆虫記』です。

ジュニア版ファーブル昆虫記 1 ふしぎなスカラベ

ジュニア版ファーブル昆虫記 1 ふしぎなスカラベ

 

虫の仕組みが面白いのはもちろん、ファーブル先生(昔の癖で先生を付けてしまう)の虫への執着といっていいほどの熱意、 変人だけれど周りに愛された生涯が楽しいです。

私が比較的虫が平気なのはこの本のおかげだと思います。

これは母とふたりで面白い面白いと言いながら読みました。

 

初めて図書館カードを作ったのが小学三年生くらいだったかな。母親に付き添ってもらって、書類に住所を書いたのを覚えています。

借りてきた本をその日のうちに読んでしまっていたのであまり意味がなかったです。

小説じゃないけど、学習漫画なんかも好きでよく読んでました。

 

あと真ん中の姉が『ダレン・シャン』を学校図書館から借りてきてそれをまた貸ししてくれたこともありました。

また貸しと言っても、家庭内のことだし私は一晩で読んじゃうので許されたい。

クレスプリーのかっこよさで盛り上がった時期でした。

 

 

 

本棚から勝手に持って行って読んでいく生活

壁の一面が本棚になっていて、そこから好きなものを取って読んでいました。母親がため込む人じゃなかったので、そこまで本は多くないです。

母親が集めていたのが向田邦子とか中村うさぎなどの、女性エッセイストの文庫本。

だって、欲しいんだもん!―借金女王のビンボー日記 (角川文庫)

だって、欲しいんだもん!―借金女王のビンボー日記 (角川文庫)

 

 買い物依存症中村うさぎのエッセイは、生まれて初めて読んだ、「精神疾患」の話でした。

 

父親の本も勝手に取って読んでました。

 父親の仕事の関係で本棚にまんが日本国憲法があって、ストーリーはすっごくつまらないんだけど漫画のキャラがめちゃくちゃ説明口調で法律を解説するのが妙に面白くて、何度も読み返しました。

改訂版 石ノ森章太郎まんが日本国憲法

改訂版 石ノ森章太郎まんが日本国憲法

 

この本のおかげでいまだにうろ覚えながらも憲法の知識があるので学習漫画も侮れないものがあります。

あと父親はシドニィ・シェルダンにはまっていたころがあって、それも結構読みました。

ゲームの達人(上)

ゲームの達人(上)

ちょっと色めいたシーンがアメリカンで大げさなので笑っちゃったのを覚えてます。

 

大型スーパー・ショッピングモールの本屋と私

子どものころは家族の買い物のときはよく本屋にいました、2時間はざら。

今となっては「子どもを本屋に置き去りにするなんて……」って感じかもしれないですが、その当時はそういうとこゆるかったんですよね。

今思い返すと、はた迷惑な子どもだな……と思いますが。

家族でショッピングモールに行くと、だいたい待ち合わせ場所が本屋になります。理由は家族のほとんどが行くからです。

少し早めに行って、本屋をぶらぶらしながら待ち合わせの時間まで待つのが通例。

 

 本好き一家の現在

今も家族は本好きです。

「最近こんな本を読んで~」という言葉から始まる雑談はしょっちゅうですし。親子間で本の貸し借りもときどきします。

 それぞれが図書館で本をしこたま借りて、寝る前やちょっとした空き時間に読んでいます。

 

親に感謝していること

思えば私は、親に「そんなもの読んじゃダメ」と言われたことがありませんでした。

性的なもの、ちょっと下品なものがあっても取り上げたりしなかったし、むしろ一緒になって読んでいました。

象徴的なのがナニワ金融道です

ナニワ金融道 1

ナニワ金融道 1

 

小学生のころ家で回し読みされていたこの漫画。結構性的なシーンも出てきます。

じゃあ過激なだけの話なのか、というとそうではない。

いまだにこの作品の内容を思い出すんですけれど、この漫画は「いかにヤクザが弱者を搾取するか」という話で、すごく社会派な内容なんですよ。

 

ナニワ金融道』に限らず、思い返すと、「あれは子どもにはヤバかったな」と思う表現っていろいろあるんですが、それで別に私が悪い人間になったようなことはなかったです。

それは、子どものころからさまざまな表現を食べてきたので頭の中で混ざって、ほどほどのところに着地したんじゃないかなと思います。

 

私は個人的には、子どもに「正しい」表現だけ与えるのは危険だと思っていますが、それはこの経験が元なんだろうなと思います。

世の中ってとても矛盾してるし、悪意もあるし、不快なものもある。そういうものに出会ったとき、どうするか考えさせるのも表現の役割なんじゃないかと考えています。

 

まとめ

というわけで、本好き一家の姿でした。

よかったら「子どもが本を読む環境とはどういうものか」と考えたくなった時