あらすじ・概要
「自閉症の子は津軽弁を話さない」妻の何気ない一言から、自閉症の子どもの方言使用について調べ始めた著者。データは確かに自閉症の子どもは方言を話さない傾向を示していた。それはなぜなのか。自閉症の社会的な障害をヒントに、自閉症と定型発達者のことばの認識の差を追求する本。
自閉症はどんな風に言葉を使っているのか
序盤はデータの話ばかりなので、本題に入るまでが長いです。しかしこの辺のデータの提示をおろそかにすると本題の説得力がなくなるんでしょうね。
「なぜ自閉症は津軽弁を話さないのか」という問いに関しては、著者は自閉症の「社会的コミュニケーションの障害」のせいではないかと推論しています。自閉症は周囲にある話し言葉を真似して、意味の予測を立て、自分も使うという行動をするのが下手です。一方で、テレビなどの言葉は、自閉症にとって比較的真似しやすいものなのです。
これはちょっとわかる気がしています。映画とかアニメの中のせりふって私にとって結構理解しやすいものなんですよね。著者の言葉を借りれば「意図」が予想しやすいから。フィクションってオーバーに感情が表現されていたり、音楽や演出で感情を補強していたりするので理解しやすいんです。
また、うちの職場(精神障害者を雇用している)にも、方言である大阪弁を話さず、まるで語学講座の例文みたいな定型文めいた話し方をする人がいます。
大阪で方言を話さない人はかなり珍しいので、結構印象的でした。
著者の主張と自分自身の体験をすり合わせて見ると、どうも自閉症傾向のある人は「bot」みたいなコミュニケーションを取りがちではありますよね。こう入力すればこう反応が返ってくるみたいな。そのやりとりの中の微妙な感情のニュアンスを拾い上げることが苦手です。方言もそのニュアンスのひとつなのかもしれません。
これを読んで日常生活に役に立つという本ではありませんが、「自閉症にとってことばとは何か」ということを考えるにはいい本だと思います。
あと本題とは関係ない部分ですが読んで「ウワーッ」と共感性羞恥になった一文。
ある日、発達障害の成人の集まりで、どんな異性がタイプかという話になりました。それぞれが、自分なりにタイプを述べていきましたが、あるASDの大学院生は「自分の性癖は小柄な人が好みで」と言いました。「性癖」ということばは、女性のタイプを表すことに使う言葉ではありません。ここにも、多くの人が持っていることばの背景にある認識や認知のずれがみえます。
(p226)
こういう一般人の悪意のないマジレス、オタクとしては心に来る……。
知らない人の前で、ネットスラングや身内しか使わない言葉を使わないようにしたいですね。