ブックワームのひとりごと

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日本精神を鼓舞する作風だった画家は、戦後に身の置き所がなくなる―カズオ・イシグロ『浮世の画家』

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浮世の画家 (ハヤカワepi文庫)

 

あらすじ・概要

戦中、日本精神を鼓舞する作風で評価を得た画家の小野。しかし戦後の社会では、小野は息苦しい生活をしていた。娘の縁談は破綻になり、かつての弟子たちや娘婿からは冷たくされる。小野は、かつての自分を回想しながら、今生きている日本で身の置き所を求めて迷走する。

 

惑い、憂い、希望と絶望、夢の中のような作品

怖い本だった……。何よりラストの展開にひっくり返ってしまいました。あの言葉でこの本のこと何も信じられなくなりました。一体だれが本当のことを言っていたんですか? 何が嘘なんですか?

『日の名残り』と手法は似ているけれど少し方向性は違います。作品の本題として描かれているのは小野の言い訳や懐古、それでもこの今で生きていかなければならない絶望と希望です。小野が信頼できない語り手であると同時に、周囲のキャラクターも信用ならない存在として描かれています。

 

国粋主義な社会を絵によって肯定した小野が、いいことをしたとは思わないけれど、小野を必要としたのは社会の方であって、彼だけに罪があるわけではないのですよね。それでもその「社会」は終戦と同時に様変わりし、小野を責め立てます。

でもその「空気感」や「社会」も本当にそこにあるものなのか? 雲をつかむように消えてしまうものではないのか? という部分も示されていて本当に怖いです。反抗しているつもりの「私たち」が戦っているものは存在しないかもしれない。

 

著者は5歳までしか日本にいなかったので、描かれているのは想像上の戦後日本です。翻訳調なのも相まって、「日本のようなここではないどこか」の様相を呈しています。

そのある種現実味のなさが、後悔し、また自尊心に囚われふらふらする小野の心理と混ざり合って、夢の中を歩いているようでした。ファンタジー要素のない作品なのに。

 

怖かったけど面白い本でした。やっぱりカズオ・イシグロは天才だな。