ブックワームのひとりごと

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マジョリティの人間が「小さな差別」を軽く考えるのはどうかと思う―鈴木大介『ネット右翼になった父』

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ネット右翼になった父 (講談社現代新書)

 

あらすじ・概要

父を亡くした著者は、ネット右翼的な思想に傾倒した父について記事に書く。しかしその後、自分は父のことを本当に知っているのかと疑問を持った。家族に聞き取りを行い、父の過去を紐解くにつれて、父親の本当の姿が見えてきた。

 

 

ツッコミどころの多い本だったな……

著者が父親を許せる気分になったところに水を差して申し訳ないんですが、かなりツッコミどころの多い本でした。序盤は面白かったんですけどね。

 

まず、著者がネット右翼ではなくひとりの人間として父親を見られるようになるのはいいんですが、後半に差しかかるとそこにもツッコミどころが出て来ました。

「子どもの前では差別的なネットスラングを使っていたが、友人の前では穏やかで政治的な発言をすることがなかった」という話を「それでは父は差別的な人間ではなかったんだ」となるのがおかしくて、「じゃあなんで子どもの前では差別的な発言したんですか!?」とならないですか? 私はなる。家族の前だったら差別的な発言をしてもいいというものでもないですし……。

 

あと自分と価値観の違う人間に対しても公平に接する、きちんと話の内容の良しあしを考える大事さはわかるんですが、それをできる人って本当に限られているんですよね。

私だってお年寄りに目の前で差別的な発言をされたときに「まあこの人はそういう価値観の中で生きてきたんだから仕方ないなあ」とは思うんですが、そう思えるのは私が今すぐに世の中から排斥されない余裕があるからです。

今まさに世の中から排斥されようとしている人たちが、ちょっとした差別にも過敏に反応して恐怖を覚えてしまうのは当たり前の話で、それに対して心が狭いとか断絶を促進しているとかとても言えないです。

男性で日本人で、マジョリティである著者が、そういう人の恐怖や傷つきを軽く考えるものではないと思います。

 

繰り返し言いますけど価値観の違う人のことをきちんと考えるのは大事なことですし、分断を防ぐには必要なことだと思います。しかし世の中にはその余裕を持たない人が多くいる、その余裕を持っていないことはその人のせいとは限らない、ということを語らないのはフェアではないと思います。

 

似たようなテーマだとこの漫画の方が圧倒的に面白いので貼っておきます。日本語版が復刊されたらしいのでおすすめです。

honkuimusi.hatenablog.com