「毒親」という言葉自体が批判されることもありますが、「アダルトチルドレン(AC)」は言葉に親の要素がないので「親のせいで心を病んだ子ども」ということが伝わりづらいです。そういう意味で生まれるべくして生まれた言葉だと思います。
- 『私がダメ母だったわけ』武嶌波
- 『酔うと化け物になる父がつらい』菊池真理子
- 『毒親サバイバル』菊池真理子
- 『母さんがどんなに僕を嫌いでも』歌川たいじ
- 『母になるのがおそろしい』ヤマダカナン
- 『親ガチャにハズれたけど普通に生きてます』上村秀子
- 『ゆがみちゃん 毒家族からの脱出コミックエッセイ』原わた
- 『虐待父がようやく死んだ』あらいぴろよ
- 『しんどい母から逃げる!! いったん親のせいにしてみたら案外うまくいった』田房永子
- 『おちおち死ねない~借金だらけの家で難病になった私のライフハック~』
- 『NOと言えなかった私』武嶌波
- 『しんさいニート』カトーコーキ
- 『毒親こじらせ家族』松本耳子
- 『カルト宗教信じてました』たもさん
- 『マウス アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』アート・スピーゲルマン
『私がダメ母だったわけ』武嶌波
著者は、愛しているはずの子どもにつらく当たってしまう。その原因は、親との関係にあるようで……。虐待の連鎖を起こさないために、著者の模索が始まった。毒親にならないために、親ができることは何なのか考える。
子どもに過干渉な母親と、子どもを溺愛しているが、妻に暴言を吐き、いざというときは頼りにならない父。不安な状況で過ごした著者は、大人になっても他人との距離感に悩みます。
毒のない母親になれなくても、とりあえず親より毒が薄れればいいという著者の結論には救われました。
大人といえどいつでもご機嫌でいられるわけではありません。それでも自分の思うようにならないことを受け止め、相手と自分を違う人間として尊重する努力には意味があるはずです。
小さな努力が、人間関係をよくしてくれるといいなと思います。
『酔うと化け物になる父がつらい』菊池真理子
宗教にハマった母と、毎回泥酔するほどお酒を飲んでしまう父。母は嫌がりながらも父と飲み仲間の世話をしていた。著者はそんな両親とともに生活していた。やがて母が自殺し、父の世話は著者と妹の仕事になる。アルコールに依存する父に振り回され、著者は自分の人生を生きることができないでいた。
親への恨みつらみを描くというより、親を愛し助けたかったという気持ちと、親を許せない気持ちの間で揺れ動く自分の姿を描いています。
結局最後まで結論が出ないまま終わりますが、それが今の著者のあり方ならそれでいいのでしょう。
著者はアルコール依存の父親に振り回され、母親は宗教にハマったのち自殺し、まともな男女の性愛とはどういうものかわからないまま育ちます。
そんな著者がモラハラ系の男と付き合ってしまい、なかかな別れられなかったくだりははらはらしました。
『毒親サバイバル』菊池真理子
アルコール依存症の父と宗教にハマった母を持つ著者は、大人になってから自分の家庭が普通ではないと気づく。著者は自分以外の「毒親」を持つ人々に取材し、そのエピソードを漫画にすることにした。劣悪な家庭環境をサバイブしてきた人々の、今の立ち位置とは……。
毒親の内容はいろいろであり、そして子どもたちがその後どんな人生を歩んできたのかもいろいろですが、その分多様な価値観に触れられてよかったです。
エピソードの中には裕福な家庭もあり、単純に「問題のある家庭=貧困家庭」でないことがわかります。お金があったとしても、子どもを育てることを放棄してしまった親に、子ども自身は傷つくのでしょう。
毒親という同じ問題を持つ人たちが、「頑張って生き延びたね」と励まし合うようなそんな作品でした。
『母さんがどんなに僕を嫌いでも』歌川たいじ
不安定な家庭に育ち、母親から暴力と暴言を受けていた著者。長じて一流企業に入社するが、そこでかつての母親のようになっている自分に気づく。そんなとき、手を差し伸べてくれたのは友人たちだった。同性パートナーも得て自分の幸せを送っていた著者は、母親との関係に決着をつけることになる。
必死に働くうちに周りを考えなくなり、そんな自分が「母親に似ている」と気付いてしまった著者。苦しむ彼を救ったのは人間関係でした。
自分がありのままでいても傷つけず、傷つけられない関係って素敵だなあと思いました。
著者は最後に心を病んだ母親を哀れみ、母の元に戻って彼女を世話することになります。こんなひどいことをした母親の世話をしてあげる必要はないと思いますが、それで本人が納得しているなら他人がとやかく言うことでもないと思います。
母親もひとりの弱い人間なのだ、と思うことで呪縛が解けたのかもしれません。
『母になるのがおそろしい』ヤマダカナン
結婚し、子どもを考える年頃になってきた著者。夫は子どもを持ちたいというものの、著者にはトラウマがあった。それは恋愛依存の母親に育てられたこと。ろくでもない男をとっかえひっかえする母親の影響で、著者は恋愛に夢を見られなくなってしまった。著者はわだかまりを覚えながら出産するが……。
子どもを産んでも最初は義務感からしか育てられず、そんな自分に自己嫌悪に陥っていた著者。しかし子どもを育てるうちに、少しずつ子どもを「かわいい」と思っていきます。
また、恋愛や家族に夢を持てなくなった原因である母娘関係について振り返り、母親の過去を知ることによって少し自分自身の過去も清算します。
毒親ときっぱり別れて幸せになるタイプの作品ではなく、このコミックエッセイが終わっても著者と母親の関係は続いています。しかしそれはそれでいいのだと思います。許せないところと許せるところが混在してもいいし、「縁を切る」というのが絶対の正解ではありません。毒親の対処の方法にはグラデーションがあります。
『親ガチャにハズれたけど普通に生きてます』上村秀子
子どものころ、親が離婚し、実母と義父と暮らすことになった著者。しかし離婚をきっかけに母は子どもにつらく当たるようになる。大人になってそんな母親から離れたくなり、実家を出て自立するも、しばらくして母親が自殺してしまう。ショックを受けた著者は……。
この作品の本題は、「自分をきちんと愛してくれなかった上に自殺した」母親と自分が似ている、ということを受容する過程にあります。
家庭環境で傷ついた著者は、仕事やプライベートで完璧を目指し続け、無理がたたって精神的に参ってしまいます。ついには母と同じように自殺を企てようとします。
しかしそんな状況でも心配してくれた友人に支えられ、少しずつ自分らしさを取り戻していきます。
「完璧でありたい」と自分の弱さを隠すところが母親に似ている、ということを受け入れ、そんな自分を許容することができました。
ラストでは、著者は親を許せない自分も、そんな親に似た弱さを持つ自分も、突き放して見られるようになります。劇的に変わったわけではないけれど、需要の大切さがわかる漫画でした。
『ゆがみちゃん 毒家族からの脱出コミックエッセイ』原わた
毒家族の家庭に育った著者は自分自身を「ゆがみちゃん」というキャラクターに投影し、漫画として過去をつづる。父、母、祖母にゆがみは暴言を吐かれ続けていた。さらに男尊女卑の家庭で男子である兄は不合理にえこひいきされている。家族を嫌っているゆがみは、働いて家を脱出しようと試みる。
恋人や友人などよい周囲に恵まれて精神的に安定し、毒家庭育ちであっても幸せになれるのだと気づいた一方で、結婚し環境が変わった瞬間一気に闇感情に囚われてしまったところです。
ネガティブな感情ゆえ人を攻撃したくなったり、人と比較されるのに敏感になったりします。
正直著者が夫であるいやしさん(仮名)に出会ったシーンでは、「このまま周りに恵まれて過去から決別しました!」という内容になるのかと思っていました。そうではなかった。環境の変化で好転したってまた環境の変化によってだめになる、自分が主体にならないと変化に適応できないという話でした。
『虐待父がようやく死んだ』あらいぴろよ
暴力、暴言など、虐待家庭で育った著者。いつも殴られている母親のことを心配し、気にかけていた。大人になっても、虐待の記憶はよみがえり著者を苦しめる。やがて、著者は母親の歪みに気づくのだった。
著者は父親から性加害未遂に遭っています。たとえ未遂であっても、子どもの心に深い傷を残すのだなあと感じました。
父親が自分に性加害をしようとしていると気づいた著者は、頭を丸刈りにしたり、いつでも逃げられるように靴を履いたまま寝るようになります。未成年の子がこんなにおびえて暮らさなければならなかったのです。心が痛みました。
著者が実の両親に結婚のあいさつに言ったとき、著者の夫に異様に外面のいい対応をするのが怖かったです。やろうと思えば、他人に優しい振るまいができるのです。でも、家族にはやりません。周囲の人はつらかったと思います。
外面がいい人間が実は……となったら人間を信じづらくなるのはしょうがないと思いました。
『しんどい母から逃げる!! いったん親のせいにしてみたら案外うまくいった』田房永子
過保護で過干渉な母親の元で育った著者は、両親への怒りの感情と向き合うことになる。自分が弱いからできなかったことは、実は親のせいかもしれない。「自分のせいではない」と考えることで、親への怒りを消化していくコミックエッセイ。
この本では怒りと付き合うこと、怒りを素直に認めることがテーマになっています。
抑圧的に育った著者は怒りをうまく処理することができず、怒りを押さえつけては爆発するを繰り返していました。著者は「まず親のせいにする」ということで自分のなかに親への怒りがあることを認め、それとどう付き合うか考えていきます。
自分の悩みを解体し、どう解決していくか考える姿は面白かったです。
著者は、適切なタイミングで相手を警戒したり、逆に信じたりできない。他人を信用するタイミングがどこかずれています。
子どものころ、健全で程よい警戒心を身に着けられなかった人の人生は、前途多難なんだなあ……と感じました。
特定の場所で話せなくなる病、かんもくになってしまった著者。機能不全に陥る家族の中で、必死に暮らしていた。大人になって、話せるようになっても、かんもくであること、親にまともに愛されなかったことを引きずって生きていた。
幼少期に著者が受けた精神的虐待は、筆舌を尽くせぬほどひどいです。
また、著者が居場所がない若者なのを嗅ぎ付けたのか、性加害を行うバイト先の上司もひどかったです。こういう悪い大人って、弱い立場の子どもを見抜くのがうまいんですよね。
自分もオタクだったので、「変わりたい」と思った著者が選んだ場所が同人誌制作の世界だったことが感慨深いです。好きな漫画でつながり、ネガティブで暴力的な展開であってもフィクションの中では許されます。また、同人仲間にも恵まれ、著者は人間として成長していきます。
あそこまで他人への嫉妬や悪意に悩まされていながらも、変わりたいと願い、実際にその望みが叶ったのはすごいと思います。友人と対等な関係を持てるようになった著者の姿に胸が熱くなりました。
『おちおち死ねない~借金だらけの家で難病になった私のライフハック~』
ギランバレー症候群という難病にかかってしまった著者。しかし父親のギャンブル依存のせいで家計は火の車だった。父親は心を入れ換えて働くようになるも、次々と困難は襲ってくる。果たして著者は落ち着いた患者生活を送ることができるのか。
著者はお金がないのが当たり前のようになっているので、あまり悲壮感はありませんが、他人から見るとかなり痛々しい雰囲気です。
「娘が病気になってギャンブルをやめて真面目に働くようになった」というのは美談のように見えます。しかしバイト代を全部親に取られていたり、お小遣いを父親に奪われたり、美談では済まされない内容もたくさんあります。
著者が何だかんだ親のことを受け入れられる人でよかったですが、別に著者と同じように親を受け入れられなくてもいいと思います。
離れることでお互いを客観視できることもあります。他の依存症患者家族は無理をしないでほしいです。
『NOと言えなかった私』武嶌波
著者はNOと言うのが苦手。わがままを言う子どもについ流されたり、夫に「してほしい」「してほしくない」を言えなかったり、そんな自分に嫌気がさしている。著者がNOと言えなくなったのは成育歴に問題があった。著者は少しずつ、NOと言える練習を積んでいく。
過去、親とうまくいかなかった人生から離れ、NOの言える人生を目指す漫画です。
精神的に自立を求めた夫と離婚したいと言いますが、決定は先延ばしに。しかし、夫は言われて危機感を持ったのか、家事に協力的になります。
喜ぶのではなく、「こんなの家庭の主導権を争っているのと変わらない」と思ってしまう著者が興味深かったです。
NOと言えるようになる次のステップは、人と交渉したり話し合ったりするスキルを身に着けることなのかもしれません。
『しんさいニート』カトーコーキ
東日本大震災と原発事故をきっかけに、東相馬の故郷を捨てて北海道へやってきた著者。美容学校に通って美容師になろうとするも、劣悪な労働環境でうつを発症してしまう。父親との関係、被災者である後ろめたさ、自己嫌悪に囚われ、働けなくなってしまった。
原発事故の被害規模もわからないまま、「子どもを放射能にさらしたくない」という一心で北海道を目指した著者と兄。その旅路のつらさは当事者から聞かなければわからないものですね。
当時は情報が錯綜していて、デマも多く、正しい判断ができる人の方が少なかったと思います。安全が確保されてからなら好きなことが言えますが、災害にさらされた人は生きるのに必死なのだと気づかされました。
著者がうつになったのは、震災がひとつのきっかけではありますが、他人を思い通りにしようとする父親との関係のせいでもありました。
著者は自分が父親のように相手をコントロールしようとしていることに気づき、父親の呪いを乗り越えようとします。その姿には感動させられました。
『毒親こじらせ家族』松本耳子
著者の父親はヤクザだった。そして、倫理観のない父親に振り回される家族たちも、どこかおかしくて……。アウトローの娘として生まれた著者が、その家庭を面白おかしく語ったコミックエッセイ。
羽振りのいい時にはお金を配っていたのに、不景気になるとどんどん借金を重ね、周囲の人にもお金を借りまくる。借りたお金は返さない。仕事もカタギではないようで……という著者の父親。
出版の時点で父親が亡くなっているから面白おかしく描いているけれど、渦中のときだったらすごくしんどい思いをしていただろうなと思います。
笑ってしまうけれど笑えない話でした。
父親以外の家族もそんな家庭環境をサヴァイブしているせいかどこか変です。他人に関心がない母親、恋愛体質の妹、コミュ力でなんとかやってきた弟。この辺も、笑い話みたいに描いているけれど本当は笑えない部分いっぱいありますよね……。
雰囲気は徹頭徹尾コミカルですが、著者の本心が気になってしまう漫画でした。
『カルト宗教信じてました』たもさん
母親が「エホバの証人」に入信し、自らもエホバの証人に引き入れられてしまった著者。幼いころ頭に刷り込まれた価値観を、当たり前のものとして暮らしてきた。しかし信者の中では不真面目な夫と結婚し、子をもうけてから、少しずつ団体に疑念を抱き始める。
描かれているのはエホバの証人の閉鎖的な社会や体罰の肯定、極端な娯楽の規制など。子どもをこういう社会に閉じ込めるのは心が痛みます。
著者は母とともにエホバの証人に入信し、宗教を離脱した後もエホバの証人の思想を押し付ける母親に辟易します。
しかし、信じたものがエホバの証人でなければここまで悪化しなかったのではと思うと、やるせない気持ちになります。
『マウス アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』アート・スピーゲルマン
父親からアウシュヴィッツに入った経験を聞き出す息子。アウシュヴィッツにおけるおぞましい行為とともに、父と子の世代間の埋められないギャップを描き出す。
著者であるアートは、父親であるウラデックを理解しようとしますが、ケチでわがままな彼とはけんかばかり。肉親なので見捨てることもできません。
そういう親子の断絶を目の前にした無力感、虚しさがリアルでそちらはそちらで鬱々となります。
アートとウラデックほどではないにせよ、親を理解することは難しいです。世代の違い、考え方の違い、境遇の違い。
血がつながっているだけでお互いまったくの別人なのに、「親だからこそわかってほしい」「子どもだからこそわかってほしい」とつい考えてしまうのも、親子関係のあるあるですね。
以上です。参考になれば幸いです。