
日本史の本のおすすめです。今回もTwitterのアンケートからお題を取りました。
だいぶ歴史の本のジャンルが偏ってるなと思いましたが、それも含めて楽しんでもらえると幸いです。
日本の中の少数派
『今こそ知りたいアイヌ 北の大地に生きる人々の歴史と文化』時空旅人編集部
かつて東北から北海道、樺太や千島列島にかけて暮らしていた民族、アイヌ。北の大地で、狩猟と採集の生活をしていた人々とは……。その宗教観や、食べ物や着るものなどの文化、そして日本との歴史を一冊にまとめた本。
アイヌ文化は万物に霊が宿るというアミニズム的な価値観は日本と同じですが、霊魂観や死生観はかなり違います。生と死をシームレスにとらえており、死んでももうひとつの別の世界に行くだけという思想だったみたいです。
そして生き物も人間も、魂が衣服のように体をかぶっているに過ぎないと考えます。
ダイジェストではありますが、日本とアイヌ民族の関係史についても書かれています。
ずっと虐げられていた民族……というより迫害や支配が強くなったのは江戸時代から明治にかけてのようです。
幕末の探検家で北海道の名付けの親、松浦武四郎はアイヌ文化の保護を訴えていたというのも知らない情報でした。北海道の「カイ」はアイヌ語から考えたそうです。
『日系人の歴史を知ろう』高橋幸春
日系ブラジル人を家族に持つ著者は、彼らのことを知ってもらいたいと日系ブラジル人たちの歴史を語る。棄民に等しい政策でブラジルにやってきた彼らは、ブラジルの自然や文化の違いと格闘しながら暮らしていた。出稼ぎのつもりだった一世たちはやがて、ブラジルに骨を埋めざるをえなくなった。
最初は出稼ぎとしてブラジルにやってきて、「ここで稼いだら故郷の日本に帰りたい」と思っていた日系人たち。彼らがブラジルに定住するまでの歴史を語ります。
最初は出稼ぎ目的だったのが、ブラジルで結婚をし子どもが生まれ、今更日本に帰っても新しく仕事を始めるのは困難。ブラジルでの生活に適応した二世三世を引き連れて日本には帰れない……。と一世たちの心の変化が切なかったです。
移民二世たちも、「いつか日本に帰るときのために」日本人としての教育を受けていたため、「日系ブラジル人」のアイデンティティを確立するために苦労をしました。ブラジルで暮らしていくためには日系人の文化に閉じこもって暮らしていくことはできなかったのです。
よそ者でマイノリティだった日系人たちが多民族国家ブラジルを構成する民族のひとつとして存在を認められる過程は、苦しいけれど勇気づけられるものでもありました。
特定の町の文化
『ものいわぬ農民』大牟羅良
戦後の日本、岩手で行商人をやっていた著者は、そこで農民たちの困窮や、独特の文化、閉鎖的な社会での悩み事を知る。岩手の人々のために役立ちたいと思いながら、インテリ層として人々との距離感に悩む。当時もっとも乳児の死亡率が高かった、岩手の風景とは。
書かれているのは、岩手の家族制度の息苦しさです。ムコやヨメなど、血の繋がらない家族への差別、同調圧力に人生を決められる社会。
第二次世界大戦すら、食べ物が支給され、都会のインテリたちが殴られるのを見られたことから「いい思い出」になってしまいます。それほどの貧しさや都会のインテリたちへの反感があるということなのでしょう。
岩手の人たちが世間に縛られ、がんじがらめになっていることを笑うことはたやすいです。
上から目線で教えてやろうというのではなく、人々のふところに飛び込んで、相手の視点を理解した上で意見を訴える必要があります。
正しいことを言えばいうというわけではない、複雑な人の心を感じました。
『地の底の笑い話』上野英信
九州の炭鉱では、今では考えられないほど過酷な労働が行われ、多くの男女がそれに従事していた。仕事の合間に語られるのは、幽霊の話、怠け者の話、ケツワリ(脱走)の話。労働者がろくに守られなかった時代、使用者に支配される中で、生き延びるために語られた物語を取り上げる。
昔の虐げられた人々の話をするとき、「一方的に権力に脅かされたかわいそうな人たち」と雑にまとめてしまいがちなのですが、この本を読むと一言で炭鉱で働く人々と言ってもいろいろあることがわかります。
もちろん低賃金で危険な仕事をさせられていたのは確かですし、今こんな働かせ方をしてはいけないのですが、それはそれとして、炭鉱の人々は炭鉱での文化を作り上げていました。
炭鉱での幽霊話から、上の人間をやり込めてやったという今で言うスカッと系の話、炭鉱での性の話。
著者は炭鉱で働いていた人たちに直に聞き取り、その文化を描きます。
極限状態の中の生き生きとした人の営み、過酷な環境でもしぶとく生き延びようとする人の姿には、ある種の美しさを感じました。
宗教
『神仏習合』義江彰夫
日本において、神道と仏教は混じり合っていった。これを神仏習合と言う。時の権力者において、神道と仏教はどういうもので、いかにして神と仏は同一視されるようになったのか。朝廷や貴族社会、武士の社会と権力の移り変わりとともに、日本人の宗教観の変遷を追う。
日本において神道と仏教は混じりあっていきましたが、かといって完全に同化したわけではありませんでした。その微妙な距離感がわかる本だと思います。
面白いのは時の権力は宗教を利用していましたが、同時に民衆の新しい信仰も恐れていたと言うことです。宗教には人を団結させる力がありますが、それは支配・被支配の関係を揺るがすものにもなりえるんですね。
確かにひとりひとりの価値観は弾圧できても、多くの人が同じ価値観を持つと世の中は揺らぎます。
神仏集合において、日本の神が仏教に帰依したり、仏教の仏と日本の神が同一視されたり、理屈で考えるとめちゃくちゃだろという展開も多いです。
しかし宗教は理屈だけで語れるものではありません。自分たちを助けてくれるなら、都合のいい救いを提供してくれるなら、それでよかったのかもしれません。
『神々の明治維新――神仏分離と廃仏毀釈』安丸良夫
明治維新前後は「廃仏毀釈」という仏教を退け神道を推進する政策が取られた。しかし日本では仏教と神道の明確な境界線はなかった。信仰を奪われ神道的とされる習慣を押し付けられた人々は困惑する。
信仰とは政府のプロパガンダで操作可能なのが恐ろしいと思います。政治家が信仰の話すると怖いのはここなんですよね。
たとえ一般民衆がよくわからない信仰を持っていたとしても、政府が無理やりそれをやめさせるのは横暴です。しかも政府が押し付けようとしている信仰も正しい歴史にのっとっているとは言えないという状況で、めちゃくちゃでした。
廃仏毀釈が「成功」した地域と「失敗」、つまり民衆の抵抗にあってうまくいかなかった場合の差が生々しかったです。
今でも伏見稲荷大社にはお寺があったり、廃仏毀釈前の文化をうかがわせる場所もあります。しかしどれだけの信仰が雑につぶされたのだろうと思うと、文化が好きな身としては哀しいです。
『鬼と日本人の歴史』小山聡子
日本人に怖れられ、またユーモラスに描かれてきた「鬼」。その存在はどうやって確立し、文化の中でどう扱われてきたのか。中国から入ってきた鬼の概念から、節分の成立、鬼とマイノリティの関係など、鬼と日本人の歴史について語る本。
怪異や妖怪、人ならざるものの表現は、その当時マイノリティだったり、抑圧されていたりする属性と深く結びついています。
障害を持つ子どもが鬼子とされ、凶兆として恐れられ、親に捨てられる。また、嫉妬に狂った女性が鬼と化す物語を、エンタメとして受け止める。
女性が特別悪い存在だとは思いませんが、立場の弱い存在がネガティブな感情にとらわれるのは、それはそうだと思います。でもそういう悲劇がエンタメとして受け入れられたのは、女性の悲しみに少しは共感してくれる人がいたからかもしれません。
人が信仰を持つこと、不思議なものの存在を語ることと、差別の問題は関係があります。それをきちんと話してくれる本だからこそよかったです。
生活
『江戸の終活 遺言から見る庶民の日本史』夏目琢史
戦国時代が終わり、長い平和が続いた江戸時代。そのころ、庶民はどう社会を見ていたのか。江戸時代の豪商や百姓の遺言を読み、当時の生活や社会の価値観について迫る。老境を迎え、自分の人生を振り返る江戸時代の人々の哀しくもいとおしい姿を見ていく新書。
遺言が残っているのは読み書きができ、なおかつ遺言を残しておこうと思う家族がいる人たちなので、読んでいくのは必然的に豪商や名のある百姓のものになります。ある意味家父長制社会の勝ち組と言ってよく、家長としてその家を治めていた人たちです。
しかしそんな、運にも努力する力にも恵まれた人たちが、親子の関係に悩んだり、変わりゆく社会に複雑な心境を抱いたりするのが面白いです。
特に放蕩息子に悩まされ、怒って「孫に家督を継がせる」と遺言をしつつ、息子が野垂れ死なないようにいろいろ気を回している遺言が面白かったです。こういう家庭の悩みは江戸時代にもあったんですね。
放蕩息子への怒りと、それでも残る親子の情に、何だかしみじみ感じ入ってしまいました。
『女官 明治宮中出仕の記』山川三千子
明治天皇と昭憲皇太后に仕えた女官が、当時のことを回想する。明治天皇と昭憲皇太后のひととなり、宮中の文化、女官として働くときの悩みなど、女官でしか語れない情報を記した手記。
面白かったのは明治天皇が著者を女官として直接選んだところです。そういうことするんだ? とびっくりしました。
それも含めて、明治天皇の描写がユニークで面白かったです。刀剣を愛でたり(刀剣乱舞をやっているので、そういえばゲームに明治帝に所持された刀がいたなと思いだしました)、冗談を言ったり。こういう人間味のある皇室の方の人物描写は初めて見たので新鮮でした。
宮中の文化も興味深かったです。宮中は儀式・お祭り・年中行事を大切にしています。そういう部分を読むと天皇は「巫王」なのだなあと思います。
しかし私は信心がないタイプの人間なので、「税金使ってこんなことしてるのか……」とちょっと思ってしまいますね。文化と言えばそれまでですけど。
『婚姻覚書』瀬川清子
日本における結婚とは何か。著者は日本の各地から結婚に関する文化、習俗、風習を収集。男が娘の家に通うもの、娘が男の家に通うもの、嫁の一時的な里帰りや、かまど神との関係などなど。婚姻制度を通して、日本の女性観に迫った本。
驚きなのは地方によって「婚姻」はまったく違う様相をしていたことです。
たとえば女性が稼ぎ手である海女の街ではとにかく腕のいい海女がモテまくり、家の階級より漁の腕が重視されていました。
また、女性が実家を離れず、男は外から通ってきて情を交わし、夫婦の家を持つことがない地域もありました。
きちんと中央の文化や法律が行き届く前は、その土地ごとにふさわしい結婚制度があったのです。
また、比較的自由恋愛が許されていた地域での、男女の恋模様が面白かったです。通い婚だと男が通ってこないと逆に親が心配したり、若者同士で共同生活をする中で婚活をしたり。想像するとほほえましい部分もあります。
『生理用品の社会史』田中ひかる
女性に月一回訪れる月経。その不快感を減らしてきたのが生理用品だ。戦前までの女性たちの月経対策や、日本初の生理用ナプキンアンネナプキンの誕生、布ナプキンを巡るイデオロギーと効果まで、日本の生理用品の歴史を追いながらジェンダーに与えてきた影響を論ずる本。
日本において月経は「穢れ」のイメージがあり、タブーとして扱われてきました。それゆえ月経の処理も母から子へひっそりと伝えられ、他の女性と情報共有することがまれでした。
結果的に、(戦争による物資不足もあるとはいえ)日本では生理用品の技術がなかなか発展しませんでした。
この辺は今もうっすら存在する問題ですね。
そこに颯爽と現れたのが日本初の生理用ナプキン「アンネナプキン」。ある女性社長が起こした会社は、またたくまに大ヒットし、女性を生理のわずらわしさから解放しました。
その流れでさまざまな会社が生理用ナプキンの生産に参入し、生理用品の市場が発展していくこととなります。
このあたりのエピソードはプロジェクトXめいていて面白いですが、女性社長が美人だったゆえに周りの人たちからあれこれ勝手なことを言われていたり、今の感覚ではうえっとなる内容も多いです。昔って怖い。
『商店街はなぜ滅びるのか~社会・政治・経済史から探る再生の道~』新雅史
普段歴史があるものとして認識されている「商店街」。しかしその歴史は意外と新しかった。商店街の発生から衰退までを政治史、社会史、商業史の観点から語り、商店街と地域社会の「これから」を考えていく新書。
商店街の発生は社会における零細小売業と政治の関係に深くかかわっており、実際の政党名を出しながらそれを解説していくのは面白かったです。今回の選挙の争点ではないとはいえ、長期的にはずっと考え続けなければならないテーマです。参院選前に紹介できればよかったのですけれどね。
批判的ではあるけれど、頭ごなしの批判ではなく、過去の良かったところは残そうとしているところが読みやすかったです。
商店街の発生と衰退の歴史を踏まえて、「家族」だけではなく「地域」や「個人」を支えるにはどうすればいいのか、最後にまとめてくれたところにはなるほどと思いました。やはり家族単位の福祉制度には限界があり、ひとりひとりを支援していく社会にシフトしてほしいですね。
文化
『「勤労青年」の教養文化史』福間良明
戦後の日本、「教養」というものに強い憧れがあった時代があった。働きながら学問を志した「勤労青年」に焦点を当て、当時なぜ「教養」が支持されたのか暴き出す。一般の人が学問をやることへの無理解や、教育格差を元に日本の不平等について語った本。
働きながら教養を得たいという青年たちの欲求には、戦後の社会への反感がありました。選ばれた人間しか知識に触れることはできず、学びたいという欲求には冷淡で、閉鎖的な社会で「ここではないどこか」を求めます。「教養」はその閉塞感を解放してくれるかもしれないという期待によって支持されました。
能力があっても進学できず、働きながら学ぼうとしても会社が学問に理解がなかったり、忙しすぎてへとへとになったり。現代にもまだまだ貧困の問題はありますが、当時よりは少しはましなのだと感じます。
私の祖母も「自分より頭の悪い女の子が進学したのが許せない」と言っていましたし、両親も苦学生で働きながら大学に通っていました。だから祖父母世代親世代のことを考えながら読んでしまいました。
『女ことばと日本語』中村桃子
小説の中や映画の中で女性が話している「~よ、~だわ」という口調。しかしながら、この話し方をする女性は全国的に見てもそれほど多くはない。なぜ、フィクションの中でこのような話し方が流布しているのか。「女ことば」の歴史を追いながら、「ことば」が家父長制の道具となってきた事実を語る。
本のテーマは、「女ことばがいかに『作られた』ものか」ということです。東京の女性は最初から「~だわ」としゃべっていたわけではありませんでした。しかし女学生が使い始めた「~ってよ」「~だわ」という言葉が、いつしか「女性」を象徴するような話し方になり、「女ことば」としてイデオロギーに組み込まれていきます。
「標準語」という概念がそうであるように、「ことば」はイデオロギーの道具となるから怖いところがありますね。国語教育の責任は重い……。
私は「美しい日本語」という言葉が大嫌いなのですが(美しさというのは耳障りがいいだけの単語や定型文ではなく、文脈に宿るものだと思っているので)これに嫌な感じがするのはごりごりにことばをイデオロギーの道具としているからだと気づきました。
『帝国図書館――近代日本の「知」の物語』長尾宗典
「東洋一」を目指して作られた日本の帝国図書館。しかし、その歴史は平坦なものではなかった。図書を買う金銭が不足していた時期、マナーの悪い利用者、そして太平洋戦争中の略奪と検閲。悪い面もある歴史とともに、帝国図書館と日本の図書館の歴史を考える。
歴史として見ると、図書館政策自体がかなり紆余曲折あって今の段階に至っているということがわかります。
小説を排除しようとした時期、図書館は誰のためにあるのか問題、金銭や管理が追い付かなかった時代。
当たり前ですが何もなかったところから現代の図書館が発生したわけではないんですよね。
「何のために本を集めるのか?」という問いの答えも変わり続けていることがわかりました。
個人的に好きだったのは図書館を利用する市民の側の話です。
待ち時間が長くて自暴自棄になった市民が図書館の玄関に落書きを残していくのには笑いました。「こんなにまたす図書館があるか」「満員で待って居る時は館員どもをぶんなぐってやりたい」等物騒で、不謹慎だけど面白くなってしまいました。
『日本アニメ史 手塚治虫、宮崎駿、庵野秀明、新海誠らの100年』津堅信之
今や日本の大きな文化であるアニメ。戦前から現代まで、日本アニメの歴史をたどる。黎明期、プロパガンダとしてのアニメ、ファンとの関係など、アニメーションと社会の関係を紹介していく。鉄腕アトム、セーラームーンなどの有名アニメも多数登場する。
第二次世界大戦期、プロパガンダの道具として日本アニメが発展したことは興味深かったです。タイトルは知らないものばかりですが、見てみたくなりました。
同時に、エンタメ作品であっても時代や政治とは無関係ではいられない怖さもありました。
ディズニーやピクサーなど、海外アニメが日本に与えた影響についても触れられています。3Dアニメをどう扱うかって結構歴史的な分水嶺でしたよね。私はトイ・ストーリーが登場したときを覚えていますが、3D のアニメを受け入れられない人もいました。
結果的に日本では2Dのアニメが栄えたわけですが、新しい技術を拒否したのか、独自性の道を歩んだかは私には判断できません。
戦争
『生きて帰ってきた男――ある日本兵の戦争と戦後』小熊英二
北海道の佐呂間に生まれた少年謙二は、1944年に出征する。その先でシベリアへと連れていかれ、抑留生活が始まった。著者が自身の父から人生を聞き取り、補足説明とともにまとめた個人史本。
何よりも良かったのが謙二のしっかりとした語り口ですね。
著者の父、謙二自身は自分が頭がいいと思っておらず、実際に難しい政治の話はわからなかったようです。半面、とてもクールで感情に流されず、懐古を交えず淡々と自分の生きた時代をとらえています。
高齢者が昔の話をするときにありがちな、自慢話や感傷的な物言いがなく、だからこそ孫世代にあたる私も淡々と読めました。
聞き手である著者の補足も的確で読みやすかったです。個人の歴史だけでは語れないところをデータや記録でカバーしてくれました。
『流言・投書の太平洋戦争』川島高峰
民衆を苦しめた太平洋戦争。戦地に行った兵隊を支える「銃後」の中で人々は何を考え、どう行動したのか。当時の流言・投書を『特高月報』や人々の日記から抜粋し、開戦から終戦までの民衆の心理状態を分析する本。
戦争を「仕方がなかった」と捉えるにしろ「罪」と捉えるにしろ、人々の行動は何かと美化されがちです。この本はそんな美化を吹き飛ばすほどの迫力がありました。
諸手を挙げて戦争を歓迎した民衆たちは、食糧難や物資の不足にどんどん追い詰められ、政府と一緒に精神論にすがることになります。それに伴って飛び交ういくつものデマ、投書。朝鮮人への差別に関するもの、終戦に関するもの。不安が不安を呼び、妄想が大きくなっていきます。
先行きの見えない不安に振り回され、「戦争に勝つ」というありもしない願望だけが心の支えとなる。後世の人から見れば愚かかもしれません。しかし、当時はそれが当たり前でした。
もちろん何も考えずに政府に従ってしまった民衆に罪がないわけではありません。過ちに学ぶことが、理不尽に死んでいった人への供養なのだと思います。
社会福祉の歴史
『生きづらい明治社会 不安と競争の時代』松沢裕作
貧困や格差、社会の断絶が問題となる昨今。明治時代の人々も、混迷の時代を生きていた。過剰な競争社会、貧困への自己責任論、恵まれない立場の人への無理解など……。明治時代の混乱を語りながら、「努力すれば報われる」がどうして間違いなのか考える本。
人間の自由意思ってすばらしい、という価値観から距離を置き、「人間にはどうにもならないことがある」という前提から語っていく本です。自由を愛する人にはあまり楽しい話ではないかもしれませんが、生まれたときから運に恵まれなかった人にはこういう視点は大事だと思います。
徳川幕府が倒れて新しい日本の政治体制が始まったわけですが、それで今までの不満や困りごとがなくなったわけではありません。むしろ農民や都市住民個人個人を見れば、悪化している部分もあります。
政府の無策や、社会が貧困に無理解であることによって彼らは追い詰められていきます。
状況や時代背景に差こそあれ、「人間は努力すれば報われる」からこそ「困っている人間は努力していない」と思い込もうとするのは現代と変わりません。ここまで来ると努力至上主義的に振る舞うのが「普通の状態」であり、「努力してもうまくいかない人がいる」という考え自体が努めてそう思わないと生み出せないもののように思えました。
『強制不妊と優生保護法 ”公益”に奪われたいのち』藤野豊
障害者やハンセン病の人々に不妊手術を施した悪法、優生保護法。その法律はどのように作られ、どのような歴史をたどったのか。優生保護法の現在までを振り返りながら、優生主義の恐ろしさ、愚かさを伝える本。
優生保護法の影響を受けたのは、知的・精神障害の人、ハンセン病の人、水俣病の人など多岐に渡ります。特に水俣病と優生保護法に関係があるとは知らなかったので、その部分は興味深く読みました。公害でひどい目に遭った上に子どもを生むことにまで干渉されるのは最悪ですね。
印象的だったのは、優生保護法に協力した多くの医療従事者がいたことです。感染症であり、感染力も強くないハンセン病の人々も結婚するとき不妊手術を強いられました。またハンセン病の女性が妊娠した胎児を何度も解剖するなど、科学者が協力しないとなし得ない行為も多かったのです。
こういう文章を読むとTwitterで科学者が「科学者は真実を知っているんだ」という態度を取っているのも何だか疑わしく思えてきます。だからって反科学の主張をしたいわけではなくて、科学者だって人の子なのだからその場の状況に流されることはありうるという話です。
以上です。興味があったら読んでみてください。



















