ブックワームのひとりごと

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『ルックバック』藤本タツキ を読んでこれは創作讃歌じゃないと思った話

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ルックバック (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

あ、あまりに主人公が自分本位すぎる……と思いましたが、実のところそれこそが作者の描きたかったところかもしれない、と思いました。

後半完全に自分語りになってしまったので有料に畳んだんですけど、ざっくり有料部分の要約をすると

・主人公より京本に同情してしまうのは私が立場的には京本に近いせい。

・私がそういう売り方をしてないのに私の人生を物語として解釈するのはやめろ、本当にやめろ。

・自分の都合のいい物語を持っている人を求めても幸せにはなれない。

こんな感じです!

 

まず京本が理不尽な理由で殺害されたことを「自分のせいだ」と思う主人公がおかしいです。一瞬そう思うことがあったとしても、冷静に考えるとおかしいはずですよね?

京本は京本が自分の作品を模倣したと妄想した男に殺害されます。この動機自体があまりに理不尽なものであり、誰かが責任を取れるものでありません。

どうしても京アニ事件と比べてしまう作品ですが、京アニ事件で亡くなられた人たちはアニメの道に入らなければよかったのでしょうか? 周囲の人間はクリエイターとしての人生を応援するべきではなかったのでしょうか? そういう話ではないですよね。職業に関係なく、彼らは殺害される理由なんてなかったのです。

 

後半で主人公が京本を連れ出さなかったIfの世界が描かれますが、この世界線でも主人公が京本を救ってしまっており、「京本が主人公と出会わなくても、京本は京本で自分の人生があったはずだ」という視点が欠けています。

 

遡って考えると、主人公は美大へ行くために自分の元を離れる京本のことを理解していません。

いくら一緒に漫画を描いていたとしても、相手の人生を縛ることはできません。そして主人公と京本は若いです。プロを目指すより学生としての知識を積みたいと思ってもおかしくはありません。

主人公は、京本の人生を過度に同一視しており、「京本という才能ある引きこもりを連れ出してあげた自分」という物語に固執しています。だからこそその物語を壊す事態である「京本が自分から離れる」ということを理解できなかったのでしょう。

 

今回京本が死ぬことで、悪い意味で主人公と京本の物語は完成してしまったといえます。主人公の中では京本は自分の人生を彩ってくれる悲劇のヒロインであり、対等な関係の相棒ではなくなりました。

京本は主人公のことを好きだったと思います。しかしふたりで閉ざされた世界で漫画を描き続けることに未来はないとわかっていたのでしょう。そして、主人公が本当は京本のことを対等だと思っていないことも理解していました。

この点、京本のほうが大人だったわけですが、京本は死んでしまったから、主人公は自他境界のはっきりした他人として、京本と再会する術を失いました。

主人公が後悔すべきだったのは、京本を連れ出したことではなく、京本が自分とは違う意見を言ったとき、耳を傾けなかったことでしょう。理不尽に殺されたことはどうにもなりませんが、そこは主人公の努力次第でなんとかなった可能性があります。

 

創作というものを理解してないからこういう描写になったというより、理解した上でこういう描写をしたと解釈する方が自然な気がします。

目の前の人間の人生ですら物語として消費し、他者として他人を尊重する力を失わせる、それがエンターテイメントの業なのです。

京本を引きこもりから救ったのは物語の力でしたが、京本と主人公が対等な人間として付き合う選択肢を永遠に失わせたのも、物語を求める人の業でした。

 

ここまでが感想なので、以下は自分語りです。

 

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