『図説 百鬼夜行絵巻をよむ』を読んでました。
そもそもはWikipediaの付喪神の項目に参考文献として載っていて、そこから図書館で取り寄せたものです。
これがなかなか興味深い内容で、審神者(刀剣乱舞のプレイヤー)から見た感想を書きます。
書籍概要
行進する妖怪たちを描いた、室町時代に流行した「百鬼夜行絵巻」。しかしその姿は、平安時代と室町時代では大きく性質が変わっています。カラーの絵巻グラビアと、澁澤龍彦、田中貴子などの寄稿を一冊にした百鬼夜行についての本。
5割ぐらいは付喪神の話になっている
なぜこのタイトルなのに付喪神の参考文献として挙げられているのか謎だったんですが、読んでみて納得しました。内容の半分くらいは付喪神の話が書かれています。
なぜかというと『百鬼夜行絵巻』の原型は『付喪神記』にある付喪神たちの行列シーンにあるという説が紹介されているからです。まさか付喪神記が先だとは……。
付喪神はカッパや天狗と違ってあまり研究の対象にならない妖怪なんですが、それを思うと後世の妖怪館に与えた影響は大きいのだと感じました。
さらに『付喪神記』の現代語訳も載っていて、付喪神について調べたい人には本当にありがたいです。付喪神記がそもそもマイナーなので、なかなか現代語訳が見つからなかったんですよね。
文字と絵が半々くらいなので、純粋に妖怪絵が見たい人は画集を読んだほうがいいと思います。でも絵を参照しながら文章を読めるのは便利です。
室町時代の付喪神像とは
面白かったのは「付喪神は持ち主に対する恨みで妖怪と化す」という部分です。付喪神は百年使われたらすなわち妖怪になるわけではなくて、捨てられたり、粗末に扱われる過程で「化けて出る」というものだったそうです。
とうらぶのキャラクターはだいたい元の主に好意的なんだけど、それを思うと前の主のことを恨んでいるへし切長谷部や愛憎入り混じる感情をにじませる宗三左文字のほうが付喪神的な性格をしているとも言えますね。
室町時代になると、社会全体の生産力も上がり、新しい道具がどんどん生まれて来ました。その過程で捨てられる古道具が増え、それに対する愛着や罪悪感が「付喪神」という妖怪を生み出した……というのが要旨かな。
もともと自然物に宿る「神」が道具に宿るようになったのは面白いです。日本人っていろんなものに魂を入れていくのが好きだな……と感じていて、最近だとボーカロイドもそれに近いなと思います。
思えばとうらぶも、公式から用意されたキャラクターは「入れ物」で、あとはファンが「魂」を入れるゲームだとも言えますね。
まとめ
審神者なので審神者視点で語ってしまいました。やっぱりとうらぶの原作チームは相当民俗学に詳しい人がいるんじゃないかな……と思ってます。
生きていないものに魂を入れるというのは昔からなされていた行為なのかもしれません。