ブックワームのひとりごと

読書中心に好きなものの話をするブログです。内容の転載はお断りします。

【実録・体験談】コロナ禍の中で祖母の葬儀に出た

 

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このブログには書いていなかったんですが、2週間ほど前母方の祖母が亡くなり、その葬儀に出席しました。

コロナ禍の中でのお葬式の記録として書き残しておきます。

個人が特定できないようところどころにフェイクを入れているので、話半分に聞いてください。

 

祖母が亡くなった日

日曜日の昼、母からLINEに、「おばあちゃんが亡くなりました」という連絡が入りました。

祖母は風邪をこじらせて入院しており(コロナではなかった)、いよいよか、と思い家に帰りました。

帰ってすぐに「お母さん大丈夫?」と尋ねてしまいましたが母は案外冷静でした。その姿にほっとしつつ、何か手伝うことがあるか聞いてみました。

しかし現段階では特にないとのこと……。

その日に母と叔父で決めたのは以下のこと。

・葬儀はあさって行う。

・明日は子どもたちは出勤する。

・お通夜なしの家族葬。

私は「明日出勤して慶弔休暇を取ってこい」とだけ命じられました。

 

祖母と私は祖母が一人暮らしをしていたころはよく会っていたものの、祖母が老人ホームに入ってからは疎遠になっていました。その上コロナウイルスの蔓延により、家族が老人ホームで高齢者と面会できない時間が長くなっていました。

だから訃報を聞いても悲しいというより実感がないという気持ちの方が強かったです。

しかし実感のない自分が悲しい気がしました。

 

次の日 出勤へ

次の日は出勤して上司に慶弔休暇を申請。

「今日も休んでもよかったのに」と言われましたが、家にいたってやることがないですからね……。

家族が亡くなったときは届けを出して、ということだったので書類を一枚書きました。葬儀場の場所とか、喪主の名前とか必要だったのでちゃんとメモして来ればよかったです。LINEで母に聞いて書きました。

家族葬なので、職場の人からの香典や焼香は一括して断ることにしました。コロナウイルスのこともありますし。

 

葬儀当日

葬儀場に着いた

葬儀当日。場所は近所の家族葬をやっている葬儀場です。今はいろいろなところに小さい葬儀場があることを初めて知りました。

母は自転車で先に向かって、父が私と姉を自動車で運んでくれる算段だったのですが、父がぎりぎりまで準備をしないのでいらいらさせられました。そりゃ男の人は準備に時間かかりませんけど、ギリギリの進行はやめていただきたい。

 

そんなこんなで葬儀会場にたどり着くと、とても小さい建物でした。1階建てで、一般的な住宅より小さいくらいです。1階が会場、2階が控室になっています。

葬儀は1時からでしたが、11時半には家族は集合してくださいということでした。叔父の家族と母の家族(つまりうち)が合流。

葬儀まで時間があるので、祖母のアルバムを見て時間をつぶしていました。モノクロで昭和の記憶! このアルバムは捨ててくれと祖母に言われていたのですが、捨てるのはちょっともったいないです。しかし捨ててくれという気持ちもわからなくもないんですよね。こうやって子どもや孫にやいのやいの言われながら見られるのが嫌だったのでしょう。

 

アルバムに飽きたらKindle Unlimitedで事前にダウンロードしていた漫画を読んでいました。多分落ち着かなくて重たい内容の本は読めないと思ったので、罪のなさそうな内容のものを選びました。 

この葬儀の日に読んだ漫画はこの三冊です。

あらかじめダウンロードしておいたのは、多分その場でダウンロードすると通信状況によってはいらいらするだろうな、と思ったからです。

 

葬儀の始まり

葬儀の時間が近くなってくると、親戚たちがちらほら集まってきました。コロナ禍の中なので、ほとんどは関西に住んでいる親戚です。

うちの母方の家系は全国に散らばっているので、参加できない人も多かったです。母の姉は東北で農業をしており、葬儀に参列するのを断念しました。

 

僧侶の方(この地域ではお寺さんと呼ぶ)がやってきて、葬儀が開始。座るのがざぶとんではなくいすなのが助かります。今時。

ご焼香も滞りなく終わり、出棺へ。

出棺の前に棺の蓋が開けられ、久しぶりに祖母の顔を直接見ました。祖母は静かに眠っていました。

泣けないんじゃないかと思っていたんですが、その顔を見ると自然と涙が出てきました。そのことに少しほっとしました。

祖母の棺桶に花を入れていると、母も涙を流していることに気づきました。ずっと自分が母を困らせる側だったので、母親の弱っている姿を見るのは何だか苦しいです。

母と祖母は、仲のいい親子ではありませんでした。しかし母親にとって祖母は「親」なのには変わりはないし、その死を受け止めることはつらいのだと思います。それを愛と定義すべきかは、はたから見ているだけではわかりませんが。

 

遺体を荼毘にする

祖母の遺体が霊柩車に乗せられ、うちの車と叔父の車がそれを追いかけて火葬場に向かいます。昔父方の祖母のお葬式に参加したときはマイクロバスだった気がするので、規模が小さくなると車も小さくなるんですね。

 

火葬場に着き、遺体が炉の中へ入っていくのを見送りました。

その後、火葬場の近くで遅いお昼を取りました。

お葬式は荼毘のスケジュールの問題で変な時間に食事を取ることになる場合があるので、お腹が空いたとき用におにぎりやパンを用意しておくといいようです。

叔父家族とうちの家族で食事をしました。久しぶりの「会食」でちょっと感動してしまいました。ソーシャルディスタンスが保たれているので、話しかけにくい席配置になっているんですが……。

お酌もできないようになっているらしくて、ひとりひと瓶飲み物が出てきて自分でコップに注ぐ方式でした。合理的。

食べ終わっても時間が余るのでスマホで電子書籍を読んで時間をつぶしていました。葬儀に電子書籍、あると暇をつぶせていいな……。

 

時間になって火葬場に戻ると祖母が骨になっていました。父方の祖母のときもそうでしたが、これを見る瞬間はショックだ……。

火葬場の職員さんの解説を聞きつつ、みんなで手分けして骨壺に骨を詰めていきます。骨折したときのボルトが残っていて、ちょっと感傷に浸ってしまいました。

骨になった祖母とともに、葬儀会場へ戻ります。

 

もう一度お経を読んでもらって終了

葬儀場で遺骨に向かって読経と焼香を行い、それで一日の葬儀はおしまい。

叔父家族とうちの家族も解散しました。

 

過程をこなしているうちは疲れているつもりはなかったんですが、家に帰ると泥のように崩れてしまいそうになりました。やっぱり疲れていたんだな……。

その日は早く寝ました。

 

終わりに:葬儀のその後

葬儀のあったその週の平日は普通に働いていたんですが、土曜日になって急にしんどくなり、その日は一日中眠っていました。

自覚がなく疲れていたんでしょうね。自分ではそれほどショックではないと思っていても、人ひとりが死ぬということは重いのだと感じました。

 

母はしばらく気が滅入っていたようで、ラジオもテレビも頭の中を素通りしていたと話していました。今は大分回復し、趣味も楽しめているようです。

 

しかし葬儀に参加したことで、自分の親が死ぬときにはどうするか、あるいは自分自身が死ぬときにはどうするか考えてしまいます。絶対に家族を持たないと誓っているわけではないんですが、望みが薄い以上ひとりでどう死ぬか考えておかなければなりません。終活は今から始まっているのかもしれない……。

 

以上、どなたかの参考になれば幸いです。