あらすじ・概要
欧米を中心に認められつつある「安楽死・尊厳死」。日本でも安楽死の合法化を主張する人が増えている。しかし安楽死を認めることで、適切な医療を受けて生活することや、延命治療をすることそのものが「悪いこと」のように見なされないか。患者を取り巻く社会の問題から、安楽死を問い直す。
死にたい人を死なせるのは人道的と言えるのだろうか
このところ友人にも安楽死に肯定的な人が増えてきて、無理やり価値観を変えさせることはできないのですがうーんと悩みになっていました。
「自分が死にたい」のはまだいいのですが、「(自分と似たような境遇の)他人が死んでもいい」と発言するのには問題があるのではないかと思います。
著者は「よい死」にこだわるあまり、「医療を受けながら生きようとすること」や「患者の周囲の人や医療従事者が終末期の患者を支えること」を軽視することになるのではないかと危惧しています。
生きるのがつらいから、死んでもいい。そして死ぬのを手助けしてもいい、となったら、結果的にその人の未来が明るいものではないことを肯定してしまうのではないでしょうか。
また、終末期の患者の問題を医療が何でもかんでも解決する、負担の重さも指摘しています。終末期の患者には福祉や、地域や家族のサポートも必要でしょう。
「死にたい」となったら「じゃあ安楽死しましょう」という態度はあまりにも短絡的すぎます。
「死にたい」人たちを一概に否定することはできません。しかしそれって環境や社会、あるいは病気が言わせているのではないでしょうか。「死にたい人は安楽死すればいい」というのは自由意志というものを信じすぎていると思います。