『スキップとローファー』の感想を書こうとしたんですが、自分語りと、大人が考える「自分らしくいきる子ども」像の罪についての話になってまいました。そういう記事だと思って読んでください。
面白いし、面白くなければ最後まで見ないんですが、作中で描かれる価値観については一言言いたくなるようなアニメでした。
まず構成やストーリーには穴がなく、最後まで違和感なく見られました。
主人公、みつみもかわいいキャラクターで見ていて和みましたね。
しかし、そこに描かれる子ども像はかなり偏っています。
よくも悪くも、描かれるのは「大人から見た理想の高校生活」です。実際に起こる高校生のトラブルに則していないのでは、ということです。
私も高校時代はめちゃくちゃ大変なトラブルありましたけど、だからといって私やクラスメイトが他の学校の生徒よりに比べて特別意地悪だったわけではありません。人間がそこにいれば揉め事は起こります。
もし、本当に人間関係に悩んでいるときにこういう理想的すぎる学校生活を見せられたらつらいかもしれません。人間がここまで物わかりがよくないですから。
振り返ってみるとこの作品で描かれる自分らしさというのは、大人たちの世界を傷つけないものです。
官僚を目指すみつみは過疎に対して無策だった大人たちを批判しないし、志摩はワケアリの家庭に育ち苦労しているものの、自分ではなく周囲の大人が悪いのだと主張することはありません。反抗は主に消極的なものに限られます。教育虐待を受けていそうな子どもさえ、親へ反抗しているところは見られません。
子どもが大人の世界を傷つけないことを望んでおきながら、「子どもには自由に、のびのびと育ってほしい」と言うのは大人のエゴではないでしょうか。
書いていて思いましたが、これはカンザキイオリ作曲の「自由に捕らわれる」そのものの倫理観ですね。私が言いたいことはおおむね歌詞に書かれているので、下のリンク先を呼んでほしいです。
自由に捕らわれる。 歌詞 カンザキイオリ feat. 初音ミク ふりがな付 - うたてん
とはいえ、このアニメを見なければよかったとは思いません。大人が求める理想の子ども像について、考えるのは面白かったです。抑圧が目に見えないところでなされるより、こうして作品として現れる方がいいと私は思います。
広く議論を呼んでほしい作品だなと思いました。