あらすじ・概要
音楽家になりたかったが家庭の事情で諦めなければならなかった高橋潔。彼はろう学校に就職し、そこでろうの子どもたちが手話を覚え、社会を学んでいく姿に感動する。しかし口話法という、ろうの子どもたちに無理に聴者の言葉を教える教育法が盛んになってきた。高橋は、ろうの人が手話を学ぶ権利を保証するため奔走する。
ろう者が手話を使う権利のために戦った人
ろうの人が手話を学ぶ権利を保証することは、つい最近まで普通のことではありませんでした。そのことに驚きました。
感想の本題に入る前に簡単に手話法と口話法について説明します。
手話法とは、文字通りろうの子どもたちに手話を主体に教育を行うこと。口話法は、口の動きで他人の言葉を読み取り、ろう者もまた発音して会話をしようとする教育法です。
昭和の頃日本は口話法一本に教育法を絞ろうとしました。しかし実際のところ口話法をマスターできるのはろう者の三割程度で、そのほとんどが中途失聴者や少し聴覚が残っている難聴の人たちでした。
高橋は、できない子に口話法を無理に教えるより、手話を学ぶことのほうが効率的であり、また人道的であると主張します。その主張は周囲から冷笑されます。
マイノリティがマジョリティになれたほうが幸せだろう、と無自覚に考えている人の多さが悲しかったです。
手話がろう者にとって必須のものであることが描かれる一方で、ろう者に聴者の言葉を話させる口話法に取りつかれるように尽力した人物の話も描かれます。
口話法の国内での第一人者である西川吉之助は、ろう者である娘に言葉を教えることに成功します。自分の娘のような幸せを他のろう者にも分けてやりたいという一心で、私財をなげうって口話法に尽力します。
しかし実際には、口話法を習得できるろう者は一部でした。西川は自死により亡くなりますが、結局あれだけ努力して口話法を行っても成果が出なかったことが原因ではないか、と周囲に推測されています。
西川も、最初は善意で口話法を行っただろうので、結末を見てとてもやるせない気持ちになりました。
私は大阪育ちですが、地元にこんな障害者教育の歴史に残るような人がいたことを知りませんでした。このような、マイノリティの権利のために尽力したような人を町でももっと取り上げてほしいです。