ブックワームのひとりごと

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『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』感想と障害者を救いたい健常者について

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ザ・ピーナッツバター・ファルコン(字幕版)

 

あらすじ・概要

ダウン症のザックはプロレスラーの養成学校に入ることを夢見て、老人ホームを脱走する。その途中で、他人の獲物を盗んだのがバレて逃げていた漁師のタイラーと出会う。なりゆきでザックを養成学校に連れていくことになったタイラーは、ザックと少しずつ心を通わせていき……。

 

男の願望丸出しで、これがいい話だと思ってるところが気持ち悪い

「傷ついた男が知的障害者に救ってもらう話」じゃん! ものすごく気持ち悪い。

何か……うだつの上がらない男であるタイラーが、純真で優しいザックに自己を投影し、代わりに夢を叶えてもらっているのが見え見えなんですよね。そこが気持ち悪い。

そもそもタイラーが逃亡なんかせずに平和に暮らしていたらザックを養成学校に連れて行こうと思ったでしょうか? ないと思います。

これをいい話だと思って脚本を書いていることに引いてしまいます。

ついでになぜ泳げないザックをなんでいつひっくり返るかもわからないおんぼろいかだなんかで旅をさせるのか。絵面が優先でキャラクターの設定考えてないんだよな……。

 

逃げ出したザックを追ってきた老人ホームの女性職員も、「ザックを束縛する頭の固い女」として扱われているのでげんなり。福祉サービスの職員が利用者の安全を第一に考えるのなんて当たり前じゃないですか。そのことを責められても困ります。

 

ちょっと話はそれるけど、障害者に「障害者を救ってあげたい」健常者が近づいてくることよくあるんですよね。そういう人は、「かわいそうな人を救うことで傷ついた自分を癒したい」っていう人が結構な割合います。

その願望を客観視し、コントロールできるならいいんですが、無自覚な人は本当の障害者を見て「なぜ自分を救ってくれないのだろう」と幻滅します。障害者は健常者を救うために存在しているんじゃないんだが!?

自分のことは自分で救え。障害者も自分のことは自分で救うから……。支援する人はそれを手伝うだけだから。

 

別に弱い人を助けることを救いにするなってわけではないんですが、それは本人が勝手に救われているだけで、その救いは障害者や子どもみたいな当事者にはあんまり関係がないことをわきまえておかないといけません。

そうでないと、自分の考える救いを押し付けてしまったり、過干渉になってしまったりするので。