ブックワームのひとりごと

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グッチ家の跡取り息子の嫁がファッションの帝国をめちゃくちゃにする―『ハウス・オブ・グッチ』

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ポスター/スチール写真 パターン1 ハウス・オブ・グッチ 光沢プリント

 

あらすじ・概要

親の運送会社を手伝っているパトリツィアは、グッチ家の跡取り息子マウリツィオに出会う。彼と恋に落ち、勘当された彼と運送会社で一緒に働き始める。しかしパトリツィアがグッチ家の資産と名声を手に入れたいという野心を持ったことから、すべての歯車は狂い始める。

 

ドロドロだけれど人間観には倫理がある

倫理のない作品を期待して見に行ったらいい意味で裏切られました。いや、ストーリーそのものは邪悪だし倫理がないんですが、物語の合間合間に描かれる人間描写には制作側の良心を感じました。

 

主人公のパトリツィアはかなりのクズ女で、夫を足掛かりにグッチ家の経営に関わり、気弱な夫マウリツィオを操って、夫の叔父と従兄弟を追い出します。

パトリツィアは自分が窮地に立たされても本心からは反省せず、自分を正当化します。

が、パトリツィアが、生粋の悪人かというとどうやらそうではないようなのです。

グッチ家の富を得るという野心を抱く前のパトリツィアとマウリツィオは本当に幸せそうでしたし、子どもへの愛も偽物とは思えない。

パトリツィアが父親の運送業を手伝うことに満足していたら、マウリツィオがパトリツィアに操られないだけの覇気を持っていたら、不満があっても家族みんなで経営することを望んでいたら、事態はここまで悪化しなかったかもしれない。

作品の良心であったマウリツィオですら、終盤である失態をやらかし、ただの善人ではなかったことが判明します。

「人間は愚か」というより、「人間は条件が揃えば誰でも愚かになる。だからパトリツィアが特別愚かなわけではない」という話でした。それはある意味優しい結論ではないでしょうか。

ストーリー自体はドロドロしていますが、人間観はモラルを感じます。

 

序盤のマウリツィオとパトリツィアの育ちの差を示すシーンなど、細かいところも作り込みがすごいです。同じテーブルについて食事をしているだけで「本来は別世界の人間なんだな……」と思わせるのがすごい。

音楽も凝っていて、音ハメが多用されています。演技のタイミングと音楽のタイミングがびしっと決まるので音楽映画みたいですね。洋楽好きな人は楽しいかもしれません。

 

見どころが多くて1記事にまとめるのが大変なくらい、凝った情報量の多い作品でした。映画館でゆっくり見られてよかったです。家でながら見だと集中できないですからね。