あらすじ・概要
高い知能を持ちながら、日常生活や仕事に困難を抱える高学歴発達障害の人々。自身も発達障害である著者は、高学歴発達障害の人々に取材し、その悩みについて耳を傾ける。今苦しんでいる人、苦しみから抜けて居場所を見つけた人、それぞれの現在を記す新書。
発達障害の差別と職業への差別と学歴コンプレックスと
本題に入る前に少し自分の話をします。
このブログでは「私は大学をドロップアウトしている」と公言していますが、実はこの大学というのが早稲田大学のことなんです。後述するように、下手に大学のことを口に出すと攻撃の対象になったりからかいの種になったりするので、めったに言わないんですけれど、今回は話した方が説得力があると思ったので公開しました。
エピソードに共通するのは、学歴があることで恩恵を受けると同時に、周囲から求められるものも増えるということです。
確かに、学歴があることはメリットではあるのですが、学歴があることで周囲から求められる期待も上がります。高卒の人は給料が安くても正社員になれてよかったねとなるところが、学歴がある人が同じ仕事をするとなまけているように取られます。しかし、当事者にとっては努力を重ねた結果、ようやく続けられる仕事を得ている場合が多いです。
これは発達障害への無理解以外にも、職業差別の問題もはらんでいます。人に必要とされる仕事であっても、ホワイトカラーの仕事だけが「ふつう」で、それ以外は卑しい仕事だと考えている人たちがいます。違法ではなく、人に役に立つ仕事であればどんな仕事についてもいいはずです。
また、高学歴であることで学歴コンプレックスを持つ人たちから攻撃されることもあります。本文中にも「高学歴なのに〇〇」といじられたり、他人から劣等感をぶつけられるシーンがあります。私も勉強が趣味というだけで「お前は頭がおかしい」と言われたことがあり、それが今でも結構つらい思い出です。
今思い返すと、グレーゾーンを含めてですが、早稲田大学にはかなり発達障害傾向のある人が多かったです。
というのも、早稲田大学は私立なので、3科目だけで受験でき、苦手な科目を回避して入学してきた人が多かったからです。それゆえかなりピーキーな成績の人も多いです。私も数学はかなり苦手で、特に複雑な計算が要求される問題は必ずといっていいほど間違えます。
ただ、早稲田は「変な学生」に比較的寛容な文化だったのでそこはよかったですね。退学する人間が一流なんてジョークもありますし。
大学の講師の人たちもどこか欠けたところがあったり、職を転々とした結果教える仕事にたどり着いた人だったりでした。おかげで変でもなんとかやっている人もいるんだな……と思えました。
結果的に退学してしまったものの、早稲田大学に行ったこと自体はいい経験だったと思います。
ただ、もう一度受験をやり直せるならもーちょっと他人に助けてもらいやすいような場所で大学生活を送りたかったなと思います。
とはいえ、この本で紹介されるのは自罰的な発達障害者が多く、生きづらさが他者への加害に向かう人はほとんどいません。そういう人でなければインタビューに応じないでしょうけれども。
「他人に『お前はコミュニケーション能力がない』と言われるが、自分ではうまくやっているつもりだ」という人も本当に存在するし、そういう人にはあまり効かない本ではあるでしょうね。