ブックワームのひとりごと

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『見ることの塩』四方田犬彦 河出書房新社 上下巻 イスラエル/パレスチナ紀行 イスラエル/パレスチナ紀行  

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見ることの塩 上: イスラエル/パレスチナ紀行 (河出文庫 よ 18-2)

 

あらすじ・概要

著者はイスラエルで日本語講師として滞在することとなる。イスラエルで働きながらも、イスラエル領内の各地を巡る。そこで目にしたのは、パレスチナ人への強い弾圧、差別、そしてイスラエルが抱える政治的矛盾だった。実際に見て、歩くことで、異形の国の空気感を暴き出す。

 

イスラエルの抱える矛盾とパレスチナ人たちの受難

著者がイスラエルに出発するとき、多くの人に止められるところから話が始まります。その人たちには各国に暮らすユダヤ系の人も含まれていました。戦争や人権侵害に反対するユダヤ系の人たちの、イスラエルに対する怒りを感じさせるエピソードでした。

 

アラブ系の人々でもガザ地区などの隔離された地域にいる人、イスラエルの領域内だがアラブ人が多数派の町に暮らす人、ユダヤ人が多数派の地域に暮らす人々など、さまざまな立場があります。

特に、ガザ地区は長い間断絶にあっており、他の地域とガザ地区のアラブ人にも文化や価値観に差異が出てきています。もはや単純に「同じ文化を共有する人々」ではなくなっています。

しかし、イスラエル軍の無法な対応の中、みなこのパレスチナから追い出されるのではないかと常に不安と生きているのは確かです。

 

一方で、イスラエルのユダヤ系が幸せに暮らしているかと言えばそうでもありません。彼らにとってもこんなテロが頻発する状況は「普通」ではありません。ユダヤ人たちは日々の暴力に心をすり減らしています。

ただ、多数のユダヤ系はイスラエルという国の矛盾から目をそむけ、逃避しています。清算するべき過去があまりにも多すぎるからでしょう。

そして、イスラエル政府が一般市民に対して「イスラエル国民はそうあるべき」と誘導してきたことも事実です。彼らに一体いかほど自由意思があるでしょうか。

親に甘やかされている子どもが親を崇拝するが、実際のところ子どもは外の世界を知らないまま生きている、ような状況です。

 

パレスチナ人の多くは著者を歓迎します。それは客人歓待の文化だけではなく、苦難の中にいる自分たちを覚えていてほしいようにも見えました。

 

2023年に書かれた増補では、著者はパレスチナ問題をフェミニズムや他の社会活動、哲学思想に怒りを露にします。

なるほど平和の中ではそういう価値観を論じられるでしょう。しかし命を脅かされている人に思想の左右やジェンダー、哲学思想は何の意味もなしません。ただ、無差別な殺戮が終わってほしいというそれだけでしょう。

 

セルビア・コソヴォの民族浄化の記憶

下巻は旧ユーゴスラビアのセルビア・コソヴォの話になります。

隣人同士が殺し合い、虐殺するという悲惨な経験をしたこの地域は、暴力への疲弊と人心のすさみを感じさせます。

ただ、ここでも過去の暴力と正しく向き合おうとする人々は多くありません。今も不安定な情勢を抱え、いつ民族対立が激化するかわからない状況で、民族を批判的に見るということは難しいのでしょう。

 

興味深かったのが、日本人である著者に共感を寄せる人々が多かったこと。

しかし彼らは正しく日本を理解しているわけではなく、「アメリカという大国と戦った国」とみなし、過剰に第二次世界大戦を美化しています。

住んでいる人間としてはそんなものじゃないよ。戦争のせいで虐殺の歴史を抱えることにもなったし……と思います。

日本にも北欧やイギリスなど特定の国を過剰に持ち上げる人がいますが、やられる側になると「この人にとって日本は自分自身を投影しているに過ぎないんだな」となって気まずいですね。

 

少し救いに思えるのは、どの社会にもこのままではいけないと、社会を変えようとする人々がいることです。絶望するのは権力者にとって都合のいいことです。抗い幸せになりたいと思うことこそが反体制運動なのだ、と思いました。

 

 

3つの宗教が混じり合う聖地へ―りえぞう『イスラエルに行ってみた 旅行記コミックエッセイ』 

壁の向こう側には過酷な現実を生きる街がありました―りえぞう『パレスチナに行ってみた』

『イスラームからヨーロッパをみる 社会の深層で何が起きているのか』内藤正典 岩波新書 感想