ブックワームのひとりごと

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人種差別のシンボルとなってしまったカエルを救えるか―『フィールズ・グッド・マン』

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あらすじ・概要

マット・フューリーは自分のぐだぐだな日常を元ネタに、漫画を描いていた。そこに登場するカエルのペペは、匿名掲示板4chanに転載され、ネットミームとして独り歩きを始める。ただの面白ネタからモテない男の代弁者へ、そして、人種差別の象徴へ。争いを好まず、事態を静観してきたマットはペペを自分に取り戻そうとするが、時すでに遅く……。

 

作ったものを拡散されて独り歩きさせられるネットの恐ろしさ

面白いと言っていい作品ではないと思うんですが、ものすごく心を動かされました。それはこの話が創作者として他人事ではないからです。

ただのちょっと下品な漫画のキャラクターだったペペが、転載を繰り返されるうちに違った意味合いを持たされ、シンボルとして祭り上げられていく様は本当に恐ろしいです。

でも、最初にペペをミームとして扱っていた人たちに、悪意はありませんでした。ただネットの面白いネタに乗っただけです。ネタとしてもくすっと笑えるものや罪のないものが多かったのです。

 

ほんの何気ない転載から、悪意が加速していく。それはもはや個人の手におえるものではなくなり、ついにマットは自らペペの葬式を漫画に描きます。自らのキャラクターに引導を渡してしまったのです。

この葬式のくだりがものすごく悲しくて、ちょっと泣いてしまいそうになりました。自分がいいと思って、作って共有した作品を、自分自身で埋葬しなくてはならなくなった。創作者としてものすごい屈辱で絶望だったでしょう。

 

これはアメリカの作品だけれど、二次創作を趣味でやっている身としては本当に他人事ではありませんでした。タイムラインを眺めていても、アニメキャラの悪趣味なコラージュや、キャラクターに自分の意見を勝手に代弁させるようななりきりが流れてくることがあります。これらがいつかペペのようになってしまう可能性は否定できません。

そして自分自身もその悪意のミームに加担してしまう可能性があるのが怖すぎるんですよね。ペペの暴走は何気ない転載から始まりました。己の二次創作がそれと同じでないとどうして言える?

一応言っておくとこの作品は二次創作否定作品ではなく、マットも好意的なファンアートには喜んでいます。

 

そしてここは作品の本題とは違うんですが、この作品「モテない男」にめちゃくちゃ厳しいなと思いました。孤独な男性はちょっと見るのつらいかも

モテない男=ニート=オルタナ右翼がものすごくリンクして語られています。

リンクしているのは認めますが、この表現だと孤独でも恵まれなくても世界を恨まずに生きてる男性が少しかわいそうですね。

私は福祉と密接にかかわって生きてきた人間だから、たとえオルタナ右翼でもいつかどうにかして別の形で社会に参加してもらわなきゃいけないと思います。罪を償わなくていいわけではありませんが。

 

一次創作であれ二次創作であれ、何かを作ったことのある人間には心動かされる作品だと思います。いい映画でした。