盲目の琵琶弾きと異形の舞い手が、平家の無念を歌い人々を癒す『犬王』
壇ノ浦で平家の落としたものを引き上げて暮らしていた友魚とその父は、ある男に宝を引き上げてほしいと依頼される。だがそれを引き上げた友魚の父は死に、友魚は盲目になってしまう。琵琶法師に弟子入りした友魚は、兄貴分と京に上り、そこで異形の少年と出会う。少年は、たぐいまれな歌と踊りの才能を持っていた。
ストーリー自体は単純で、最後に種明かしがちょっとある以外は、伏線もそれほどありません。その代わり、ライブシーンにエンタメ性とメッセージ性をごりごりに盛り込んできています。
なぜ歌うのか、なぜ踊るのか、そしてなぜ世の人々はエンターテインメントを必要とするのか……。という疑問の答えが映像と歌でしっかり表現されています。その潔さ、かっこよさにしびれました。
表現者が「ここにいる(いた)ぞ」と伝え、受け取る側が「あの人たちがここにいる(いた)ように、私たちもこの世界にいていい」と思う。物語がなぜ人々を励ましてくれるのかが描かれていてちょっと泣きそうになりました。
学校に現れたAI少女の正体を隠すため少年少女が大騒ぎ『アイの歌声を聴かせて』
企業がAI技術の実証実験をしている小さな町。その街の高校にシオンという転校生がやってきた。変わり者の彼女は、実はAIで……。母親の作ったAIであるシオンの実験を無事に終わらせてあげたいと思ったサトミは、友人たちを巻き込んでシオンの秘密を守ろうとする。
「AIが発達した田舎町」という世界観が面白くて、田園風景に立つ風車やソーラーパネル、ロボットが当たり前にうろうろする学校など、「今に近い社会なのに、どこか違う」という表現が上手いです。特に風車とかソーラーパネルって景観を損なうとされがちなのに、この作品ではかっこよく描かれているのは新鮮です。
そして元気で愉快なミュージカルシーンのかっこよさ! SF的にミュージカルシーンの説得力があるのがまた面白かったです。
「覚えている」ことが弔いでありなぐさめである『リメンバー・ミー』
メキシコの少年ミゲルは音楽が大好き。しかしミゲルの家庭では、音楽禁止だった。家族に反抗したミゲルは家を飛び出し、ギターを盗んで音楽コンテストに出ようとする。しかしミゲルはなぜか生きている人に見えなくなり、「音楽をしてはならない」という家訓を作ったママ・イメルダをはじめとする死んだ家族たちと出会う。
私は信心がないので死後の世界にあまり興味がないのですが、死という理不尽なものを前にして、何らかのなぐさめが必要なのも確か。この作品はそのなぐさめになりうる映画でした。
描かれる死者の国がとても幻想的かつにぎやかで、「死」でイメージする悲惨な雰囲気があまりありません。お祭り騒ぎのようで見ているだけで楽しくなってきます。
死者の国では生きている人が死者のことを忘れてしまうと、消滅してしまいます。逆に言えば、死者は生きている人が覚えている限りは存在し続けます。
『リメンバー・ミー』は結局死にゆく人のための映画ではなく、この世に残された人のための映画なのだと思います。思い出すことが弔いでありなぐさめ。そして弔いが生きている人の支えになるということなのでしょう。
再会と過去から来た人をきっかけに動き出す三人の運命『空の青さを知る人よ』
事故で両親を失い、二人で暮らしてきたあかねとあおいの姉妹。「東京に出てバンドをする」と言うあおいは、自分に音楽を教えてくれた相手、しんのと再会。しかしシンノは、子どものころ出会ったままの姿だった。一方あかねは、音楽イベントにやってきた演歌歌手のバックバンドに、かつての恋人である慎之介を見つける。
この作品のキャラはだいたいダメですね。夢をうまく叶えられずにくさくさしている慎之介を筆頭に、あかねの幼馴染であかねに惚れているけれどどこか行動が空回りしているみちんこ、そしてひねくれて中二病気味の主人公あおい。
あかねと慎之介の再会と、突然現れたしんの。ふたつの要素が忘れていたはずの過去を思い出させ、その象徴として音楽がある、という話でした。これを見てから「ガンダーラ」が好きになりました。
『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』
聖翔音楽学園に通って役者を目指す愛城華恋。クラスメイトと共に聖翔祭の準備を進める彼女は、謎のオーディションに巻き込まれる。そこでは、「トップスタァ」の座をめぐって舞台少女たちが戦っていた。
女の子たちの芸能青春物語かと思ったら、唐突にバトルものが始まり、しかもミュージカルやレヴューの要素を取り入れながら抽象的な表現でけむに巻くという特殊なアニメです。
正直よくわからないけれどこのよくわからない感じが面白いです。
テレビ版でも話は完結していますが、劇場版でその後のキャラクターたちが見られるのでこちらもおすすめです。
以上です。興味がある方は見てみてください。