ここ最近「自己肯定感」についてSNSで見ることが多いので、「自己肯定感の回復」や「自己肯定感とは何か」ということをテーマにしているコミックエッセイを過去記事から集めてみました。
- 太っていた女性がぽっちゃり向けファッション誌に出会い自尊心を取り戻す『自分サイズでいこう 私なりのボディポジティブ』
- 大嫌いだった母親に似ていることを受け入れることで自分を俯瞰的に見られるようになる『親ガチャにハズれたけど普通に生きてます』
- 若はげの男性が自らのはげを受容し未来へ踏み出す『僕は髪の毛が少ない』
- 生きづらさに悩まされていた漫画家が当事者研究を見学した結果『生きづらいでしたか? 私の苦労と向き合う当事者研究入門』
- 不安障害の漫画家が彼氏とともに夜の街を歩く『夜さんぽ』
- 自分を受容することから成長は始まる『それでいい。自分を認めてラクになる対人関係入門』
- 毒親と普通の人は紙一重なんだよって話『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』
太っていた女性がぽっちゃり向けファッション誌に出会い自尊心を取り戻す『自分サイズでいこう 私なりのボディポジティブ』
太っていることに悩み、過酷なダイエットで摂食障害に陥った著者。そんな中、プラスサイズモデルの人々や、ぽっちゃりサイズ向けファッション雑誌の内容に励まされた。著者も何か発信できないかと考え、自分と体形が似ている女の子をイラストに描き始める。
自己肯定感を得られなかった著者が自尊心を取り戻し、自分の外見を愛せるようになる過程は、読んでいてとても元気になります。
私はあまりファッションに興味がないんですが、見た目から入るのもときには大事だなあと思います。
大嫌いだった母親に似ていることを受け入れることで自分を俯瞰的に見られるようになる『親ガチャにハズれたけど普通に生きてます』
子どものころ、親が離婚し、実母と義父と暮らすことになった著者。しかし離婚をきっかけに母は子どもにつらく当たるようになる。大人になってそんな母親から離れたくなり、実家を出て自立するも、しばらくして母親が自殺してしまう。ショックを受けた著者は……。
家庭環境で傷ついた著者は、仕事やプライベートで完璧を目指し続け、無理がたたって精神的に参ってしまいます。ついには母と同じように自殺を企てようとします。
しかしそんな状況でも心配してくれた友人に支えられ、少しずつ自分らしさを取り戻していきます。
ラストでは、著者は親を許せない自分も、そんな親に似た弱さを持つ自分も、突き放して見られるようになります。劇的に変わったわけではないけれど、自分を俯瞰的に見ることによって生きるのが楽になります。
自分の弱さにも、他人の弱さにも寛容になった著者が印象的でした。
若はげの男性が自らのはげを受容し未来へ踏み出す『僕は髪の毛が少ない』
頭をスキンヘッドにし、スキンヘッドなりのおしゃれを楽しんでいる若はげの著者。しかしその境地に至るまでは、つらい過程があった。はげであることに悩み気が落ち込みがちだった著者は、どのようにしてコンプレックスと向き合い、自分の身体を受け入れたのか。
著者が若はげをきっかけに落ち込みがちになり、人間関係にも仕事にも積極的になれなくなった場面はつらかったです。髪の毛というのは何だか、おしゃれの象徴ですよね。なくすと自分の美しさ、かっこよさがなくなった気がします。
それだけに著者が思い切ってスキンヘッドにして、開放感を味わうくだりはほっとしました。頭を剃ることによってコンプレックスから解放される。こういうシーンを見ると、変わりたいと望んだときに見た目から入るのは悪くないのかもしれないです。
生きづらさに悩まされていた漫画家が当事者研究を見学した結果『生きづらいでしたか? 私の苦労と向き合う当事者研究入門』
親に抑圧的に育てられ、「ネガティブ思考クイーン」として生きて来た著者。ある人物の勧めから当事者研究について体験することに。そこは、苦労や弱さをそのままの形で語り合う場所だった。当事者研究を実践する人たちを見、そこから己の生きづらさと付き合うヒントを得ようとする作品。
当事者研究に関わる人たちが、助ける、助けられるという一方通行の支援に疑問を抱いているのはよくわかります。そのための「語り」であり「研究」なのでしょうね。
「自分は相手を助けられるんだ」と思うとどうしても驕りが出てしまいます。べてるの家の章で、「ここは里山のようなもの」という言葉が出て来たのが象徴的でした。場所の手入れはするけれど、成長するのは植物に(当事者)任せる。成長しなくても、責められることはない。そういう場所だからこそ安心していられるのでしょう。
「成長しなければ」という呪いについて考えさせられる本でした。
不安障害の漫画家が彼氏とともに夜の街を歩く『夜さんぽ』
不安障害になってしまった漫画家でイラストレーターの「いこまん」は、同居人であり恋人である「トリさん」と夜の散歩を始める。暗い夜道の中、何かを見つけたり、コンビニや食堂に寄ったり……。病による不安とともに、夜の世界を彷徨するコミックエッセイ。
作品は病気は治癒することより、不安障害の人間が見た夜の世界を漫画として描き出すことを重要視しています。
コンビニやドラッグストアに寄ったり、路地の中のおかしな影が気になったり、言葉にすると何気ないものが、丁寧に漫画として描かれています。
主人公である著者は根が繊細で、感じやすい人なのだと思います。リアリティのある絵柄ではないけれど、語り口と描写で「本当にあるもの」のように見えてきます。絵の中のにおいや温度が感じ取れるようでした。
メッセージがあるというよりも、目の前のものにもっと目を向けてみたいと思う作品でした。
自分を受容することから成長は始まる『それでいい。自分を認めてラクになる対人関係入門』
イラストレーターとして、漫画家として、実績を重ねながら、暗い思考に支配され、ネガティブ思考クイーンとして生きて来た著者。ある日、精神科医、水島広子から会ってみたいと言われる。そこで話したのは、対人関係療法という生きづらさを解消する治療法だった。
あれだけ自分のことを冷静に描いているように見えても、心の中は嫉妬や羨望が渦巻いていることに驚きました。
精神科医の水島広子は、そんな著者にまず「あるがままの自分を認める」ことを勧めます。行動を変える努力をするにしても、まず自分のことを認めないと何も始まらないと。
そして、他人の期待に対してできないことはできないと言うこと、また、他人への期待を現実的なものに下げることが必要です。
これは人間関係の悩みに有用で、人を観察するときにも役に立ちそうでした。
毒親と普通の人は紙一重なんだよって話『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』
過干渉な母親のもとで育ち、なんとかその重圧から脱出した著者。そんな著者も子どもを授かった。しかし、子育ての最中にも、「母」から受けた仕打ちがよみがえる。「こうあるべき」という固定観念を押し付けず、子どもを育てるにはどうすればいいのか。トラウマ持ちの著者の苦闘が始まる。
著者は過干渉な母親に「こうあるべき」という固定観念を押し付けられ続けていたので、子どもにはそうしたくない、と強く願っています。
しかし子が「女の子だからピンク」と、「女の子らしさ」に執着するようになって戸惑ってしまいます。「女の子らしい」という固定観念に囚われるのはよくない、個性的に生きるべきだ、と。
よく考えればピンクやフリルやリボンに個性が宿っていないわけではありません。著者はそれが「押しつけ」だと気づきます。
子どもを肯定することで親として成長する著者の姿に励まされました。
以上です。興味があったら読んでみてください。