今回はコミックエッセイ漫画家、細川貂々のおすすめ作品をまとめました。
著者のコミックエッセイのファンなので、過去作を読み返しながら書きました。
お出かけ
『おでかけブック』
アンティークなもの、古いものが好きな著者は、それにまつわる場所に出かける。古いものが手に入る町、昔の風俗を展示した博物館、海で古いガラス瓶探しなど、おでかけの日々を描いたコミックエッセイ。
東京、大阪、京都など、アンティーク好きの著者がアンティークにまつわる古い建物や骨董市を周ります。
だらだら眺めていられる気軽なコミックエッセイですね。かわいいしほっこりします。
私も古い建物や骨董市が好きなので、作者に親近感を覚えました。
アンティークの楽しさが現れている一方で、情けないエピソードもあります。
特に海岸へガラス瓶やシーグラスを探しに行ったときの話には笑いました。アンティークで美しいものでも、探しにに行くときはロマンチックではないものですね。
集めたガラス瓶をごみとして回収されそうになったのを見て、他人にとってはただのごみなんだなあ……と思いました。
『日帰り旅行は電車に乗って 関西編』
著者夫婦は、電車好きの息子ちーと君の影響で、電車が好きになった。彼女らは宝塚市に引っ越し、関西で暮らすようになる。関西から日帰りできる範囲で電車に乗り、その土地の食べ物や文化に触れ、そのことを漫画に描いた本。
この作品を個性的にしているのは夫妻の息子、ちーとくんの存在です。電車が大好きだったちーとくんをきっかけに、著者夫妻は電車に乗ってさまざまな場所に出かけます。
しかしそのちーとくんは外出先で機嫌を損ねて動かなくなったり、自分はもう電車が好きではないと言い出したり……。
わがままなんですが、親がすべてだった時代を抜け出して自立しようとしているのかもしれません。
著者夫婦+編集者も、ちーとくんを自分の行きたいところへ連れていくなど、一方的にわがままを聞かされるわけではないところがいいですね。
『親子テツ』
息子、ちーとくんが電車好きだったことから、自然と電車の名前を覚え、電車が好きになっていく著者。電車のおもちゃや、電車にまつわるおでかけなど、電車についてのコミックエッセイ。
著者がちーとくんが電車好きになったことをきっかけに、自らも電車に詳しくなっていくのが面白かったです。
最初電車好きではなかったツレ氏も電車を運転するゲームから電車好きに参入。家族で同じものを楽しめるのはいいなと思います。
ホテルの部屋の窓から江ノ電を眺められるサービスなど、電車好きでないと買わない商品の存在を知れるのもよかったです。
世の中に存在する電車好きのグッズの意味に気づくことができました。
ファッション・美容
『40歳から「キレイ」と「オシャレ」始めました』
漫画家の著者は、おしゃれに縁遠い生活を送ってきた。しかし40代に差しかかり、自分の老いを受け止める中で、「年相応の老い方をしたい」「おしゃれをしたい」という気持ちが生まれてくる。きれいになりたい、でも自分のペースで、という大人のためのコミックエッセイ。
私はどうも着飾ることに抵抗があるんですが、30歳も超えてこのままでいいのか……? ということを思い、さりとて押しつけがましい「きれい=幸せ」の広告に加担したくなくて悩んでいました。
多分、この著者細川貂々ならそういう押しつけがましい描き方をしないのではないか、と思い、この本を手に取りました。
予想通り、著者には「きれいになるべき」という押しつけがましさはなく、ただ自分はこうありたいからこうした、という話でほっとしました。あくまで著者の主観から描かれた、日常の中での美容ケアなので過度にきらきらしてもいないし適度に手を抜きます。
書いてあること自体は当たり前のことで、新しい情報はほとんどないと言っていいですが、語り口が違えば受け取りやすくなりました。
『本当はずっとヤセたくて。 自分のために、できること』
ずっと自分が太っていることから目をそらしてきた著者。食品置き換えや運動グッズなど、さまざまなダイエットを試してきたが、どれもうまくいかなかった。伴侶のアドバイスから、「生活を改善しないと痩せられない」と気づいた。著者は、生活を変えるために努力をする。
「ずっとヤセたくて」ではダイエットのために生活習慣を見直し、食べすぎやお菓子への依存をなくす話。
続編の「キレイにヤセたくて」は、体重だけではなく体型を美しくしたり、健康的な食生活をしたりする話です。
無理なダイエットを推進せず、きちんと食べて運動してやせることを目標にしているところがよかったです。
ダイエットをすることによって、自分の生活を振り返り、「自分は自分を大切にしていないのではないか」と気づく過程が好きです。
また、他人がどう思うかではなく、「自分のためにやせたい」「何度も同じことをして失敗している自分を変えたい」という思考なのが安心して読めました。
ダイエットを言い訳に他人と自分を過度に比べていると、読者としても読んでいてつらいですからね。
趣味
『てんてん手帖』
漫画家、細川貂々はアンティークなもの、古いものが好き。古いものを作ったり売ったりしている店に行ったり、骨董市に出かけたり、縁起物を買ったり。自分のペースで古くてかわいいものを楽しむ姿を描く。
アンティーク趣味について書かれたコミックエッセイです。かわいらしく、のんびり読める内容で面白かったです。
古いもの、ちょっと変わったものが好きという著者の思いに、共感できます。
物語を感じさせるのがいいんですよね。
セルロイド人形の話、古い小びんの話、縁起物の話など、普段なんとなく眺めているものを、詳しく知ることができるのはよかったです。
特にセルロイド人形の回はお気に入りです。作り方が独特で面白いですし、最後のオチもすきでした。かわいいところとすっとぼけたところが共存しているのがいいですね。
『てんてんと歩くキモノみち 紬からはじめました』
着物にあこがれながらも、その難しさに挫折していた著者。そんな中、結城紬の関係者に漫画の依頼を受ける。結城紬の肯定や特徴について学び、ついには結城紬を着ることに。結城紬に関わる人たちの悩み、そして結城紬を後世に伝えようとする活動とは……。
面白かったのは結城紬が文化財に指定されることによって、結城紬の価格が高騰してしまい、「贅沢品」としての印象が先行してしまったことです。しかし紬は屑まゆを使って作る庶民の着物で、「フォーマルではないもの」という前提があります。「値段が高いのに、フォーマルの場では使えない」という二律背反があり、結城紬は近寄りがたいものになってしまいました。
そんな中で、結城紬に関わる人々は古着屋を営んだり、結城紬でてきた小物を売ったりと、庶民が結城紬の接点を持つ方法を模索しています。
文化財になること=いいことだと漠然と思っていて、文化財になることのデメリットを考えたことがありませんでした。そういう意味で新しい価値観を知った漫画でした。
『タカラヅカが好きすぎて』
ある日突然、宝塚歌劇にはまってしまった。DVDを買い集め、宝塚歌劇が流れるTVチャンネルを契約し、ついには日本中の宝塚歌劇の上演に通い詰める。好きなものがある幸せと、宝塚の好きな俳優を指す「ご贔屓」がいることの感情の上下を描く漫画。
前半が著者の気持ちを投影したオリキャラの話で、後半が著者を主人公としたコミックエッセイなのですかね。その辺少しややこしかったです。
宝塚歌劇には一度行ったことがありますが、宝塚中心に経済が回っていることに驚きました。著者もまた、宝塚を好きになってDVDやTVチャンネルを契約し、日本中に公演を見に行きます。
喜びが大きいゆえに悲しみも大きく、まさに感情のジェットコースターでした。
作品の本題ではないですが、さらっと「宝塚で身を持ち崩した女性は多い」という話が出てくるところはおっかなく感じました。
家族のこと
『いろはにいぐあな』
爬虫類、イグアナを飼っている著者夫婦。イグアナの面白エピソードや、飼育の苦労、イグアナとの交流をコミックエッセイに描く。イグアナを飼うことになった人たちの集まりや、あるあるについても語る。
いかつくて怖いイグアナのかわいいところ、親しみやすいところは新鮮味があって楽しかったです。珍しい動物を飼っている人はなかなかいないので、新規性があります。
興味深かったのは、イグアナが好きな人たちが、最初からイグアナが好きだったわけではなく、なりゆきでイグアナを飼い始めたことです。
著者もペットショップで放置されていたイグアナを引き取ったことからイグアナを飼い始めます。
ペットショップの罪について考えてしまうエピソードですね。
『イグアナの嫁』
漫画家志望の著者と、仕事をしていない夫の夫婦は、ある日イグアナを飼い始める。自分本位だった家庭は、イグアナの存在によって変わり始める。少しずつ上手くいっていると思った矢先に、夫が過労によってうつ病になってしまう。著者は一家の大黒柱としての振る舞いを強いられる。
『びっくり妊娠なんとか出産』
子どもを持つ機会がなく、ずっとふたりで生きていくのだろうと思っていた著者夫婦。だがある日偶然子どもを授かる。高齢出産のリスク、子どものいる生活への不慣れ、伴侶への不満など、妊娠から出産までもこもごもを書いたコミックエッセイ。
母体を理解しない発言を繰り返すツレ氏のことを批判しているのが笑えます。これでツレ氏が聖人君子だったら逆に自分と比べて落ち込むと思うので、このくらいがいいんでしょうね。
ツレ氏もたまに書いているコラムで著者への不満を書いているので、これはこれで平等なのだと思います。
ラスト近くで「帝王切開にしてください」と言うツレ氏の姿がドラマチックでした。彼はつい最近安易に帝王切開にすれば? と言って著者にムカつかれていたのです。しかし言葉って文脈で変わるんだなあと思うシーンでした。
『ツレはパパ1年生』
30代後半にして親となった著者夫婦。専業主夫であるツレ氏は、そのままメインで育児を担当することとなる。大黒柱である著者と育児担当であるツレ氏のいさかいや、子どもの成長の喜びなど、子育ての大変さと楽しさを描いた作品。
イクメンのパパ、というキラキラしたものではなく、庶民的でときに理不尽な主調もあるところが、人間味があります。
しょうもないことでキレたり、「息子に愛されている自分」に酔っていたりするところに笑ってしまいます。でも、ありうることなんだろうし、個人的にはキラキラした部分だけ見せられるより安心します。
夫に代わって大黒柱になった著者のちょっとした葛藤や、ツレ氏に叱られることによる悩みも面白かったです。
「パパはパパ同士でしかわかり合えない」ということばには、男性同士がつるむ意味について考えさせられます。同じ状況の人、同じ属性の人と話す行為は大事なのでしょう。
『親が子どもになるころに――てんてん、介護問題に直面す』
漫画家の著者にはひとり暮らしの父がいた。仕事を続けまめに掃除をし、生活を続けていた。しかしあるときから認知症の兆候が見え始め、施設に入れることを考え始める。施設探しの日々、ままならない父親の行動を描きながら、子どもが老いた親を世話することを考える。
この本では認知症になった親を子どもの姿で表現しています。著者の父は中学生、著者の夫の父は小学生、著者の夫の母は高校生。
今の親たちとは違う姿ではありますが、細川貂々夫妻が「これから世話をしていかなければならない、弱くなった姿」としてはわかりやすいと思います。
著者の父は、娘である著者から何度も「将来のことを考えてほしい」と手紙を受け取りますが、自分が動けなくなった時の対策を取らないまま認知症になってしまいます。
著者が思うようにならない父にいらだちますが、自分が認知症になったあとのことは想像しにくいものなのでしょう。
同時に著者の夫、「ツレ」の介護問題も描かれます。認知症になり始めた父を施設に入れたのはいいものの、伴侶と一緒に暮らせなくなった母も様子がおかしくなります。最善の方法というのは人によって違うのだなあと思いました。
『なぜか突然、中学受験』
漫画家・イラストレーターの細川貂々と専業主夫のツレ氏の間に生まれた息子、ちーと君。小学6年生になった彼は突然中学受験をしたいと言い出す。戸惑いながらも、夫妻は息子の受験勉強を応援するために奔走する。
まず親がいい学校に行かせたいからではなく、子どもが「中学受験をしたい」と言い出したところから始まります。当時は小学6年生の一学期が終わったころ、細川貂々夫妻は中学受験について全く準備をしておらず、息子のその発言に焦ります。
しかし「本人がやりたいと言うならばできるかぎりの協力をしよう」と家族3人で中学受験に取り組みます。
模擬テストやプレテストの点数に一喜一憂したり、すねて勉強をしなくなる息子にいらだったり、「受験勉強を応援する」と言っても楽しいことばかりではありません。
さらに受験塾に行かなかったため、ちーと君の勉強は夫のツレ氏が見ていました。
しかし息子、ちーと君が全く勉強の習慣がなかったところから、机に向かい勉強ができるようになり、何度も勉強を投げ出しそうになりながらもまた受験勉強をする姿には励まされました。
メンタルヘルス
『さよなら、子ども虐待』
日本における子ども虐待は減ってはいない。子どものために何ができるのか。核家族化し、閉鎖的になる現代の家庭で、虐待を防ぐ対策について考える。親、子ども、地域社会が虐待をせず幸せに暮らせる世界を目指す。
殴る、暴言を吐く、ネグレクトをするなど、わかりやすい虐待も多いですが、精神的な虐待は対応が難しく、問題も表面化しにくいです。
親が特定の進路を強いる教育虐待、ヤングケアラーの問題、子どもの価値観を否定してコントロールしてしまう親の存在など、課題が多いです。
一方で、虐待をしてしまった親にも、社会からの孤立という悩みを抱えている人が多いです。虐待を重篤化させないために、虐待をする前の段階で親にアプローチするのが大切だと著者は説きます。
「もし子どもに虐待をしてしまったら、子どもに謝ってほしい」というくだりが胸に苦かったです。どうしようもない過ちこそ、謝るのがつらくなります。許してもらえなきかもしれないと思うと、子どもへ謝るのはつらいです。それでも大人が乗り越えなければならない壁なのでしょう。
『そして〈彼〉は〈彼女〉になった 安冨教授と困った仲間たち』
女装の東大教授、安冨歩とその相棒である「ふーちゃん」。彼等には抑圧的な親に悩まされ、生きづらさを抱えていたという共通点があった。過去の恋愛や結婚についての違和感を乗り越えて、自分らしい生き方を獲得していくふたりを描いた作品。
社会の「こうあるべき」という規範に悩まされ、少しずつ成長していく二人の姿が印象的でした。面白かったです。
ちょっと抑圧的な男性が突然女性の格好をするようになった……トランスジェンダーという言葉はちらっと出てくるだけで、どのくらい性自認が女性になったのかはよくわかりません。
ただ言えるのは、本人たちが居心地がいいと思えるのが結婚でも恋愛でもなくこの関係だったということです。恋愛ありきの関係ではないコンビで幸せにやっていくという描写は、救いではあります。
これもひとつの多様性だと思える作品でした。
『それでいい 自分を認めてラクになる対人関係入門』
イラストレーターとして、漫画家として、実績を重ねながら、暗い思考に支配され、ネガティブ思考クイーンとして生きて来た著者。ある日、精神科医、水島広子から会ってみたいと言われる。そこで話したのは、対人関係療法という生きづらさを解消する治療法だった。
『ツレがうつになりまして』などのヒット作を持ち、その後も実績を重ねながらも、自分に自信が持てず、ネガティブな思考に支配されていた著者。
あれだけ自分のことを冷静に描いているように見えても、心の中は嫉妬や羨望が渦巻いていることに驚きました。
精神科医の水島広子は、そんな著者にまず「あるがままの自分を認める」ことを勧めます。行動を変える努力をするにしても、まず自分のことを認めないと何も始まらないと。
まず自分のできないことを認めて、できることに集中することで人間は成長していきます。ついつい「なんであれができないんだろう」とくよくよしてしまうので、この考え方は参考になりました。
『生きづらいでしたか?』
親に抑圧的に育てられ、「ネガティブ思考クイーン」として生きて来た著者。ある人物の勧めから当事者研究について体験することに。そこは、苦労や弱さをそのままの形で語り合う場所だった。当事者研究を実践する人たちを見、そこから己の生きづらさと付き合うヒントを得ようとする作品。
当事者研究に関わる人たちが、助ける、助けられるという一方通行の支援に疑問を抱いているのはよくわかります。そのための「語り」であり「研究」なのでしょうね。
「自分は相手を助けられるんだ」と思うとどうしても驕りが出てしまいます。べてるの家の章で、「ここは里山のようなもの」という言葉が出て来たのが象徴的でした。場所の手入れはするけれど、成長するのは植物(当事者)任せる。成長しなくても、責められることはない。そういう場所だからこそ安心していられるのでしょう。
私は発達障害の当事者会に行ったことがあるんですけどあまり続かなかったんですよね。そもそも私は共感すること、共有することに救いを得られるタイプではなかったので……。でも問題を外に出して、みんなで「眺める」行為によって少し自分を冷静に見られる、ほっとするという過程は面白かったです。
以上です。興味があれば読んでみてください。