コミックエッセイのまとめはときどき書いていますが、文字のエッセイのまとめは最近書いていないな……と思い書きました。
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異文化
『JK、インドで常識ぶっ壊される』熊谷はるか
家庭の事情でインドに移住することになった著者家族は、インドの文化の違いにカルチャーショックを受ける。インドの宗教や食文化、貧困や犯罪の問題。やがで著者はボランティアサークルに所属し、そこでの活動から社会のと関りや、社会にとって自分は何ができるか考えるようになる。
インドのことを何も知らないまま、インドに移住した著者は、そこで多くのカルチャーショックを受けます。宗教のこと、民族のこと、文化や食生活のこと。著者が紹介するインドは、いわゆるテンプレ的なインドではありません。
一歩外に出れば多様な民族や宗教に属する人たちがいて、しかもそれが数百年にわたって続いている。ある意味インドという国は、多文化の国の最前線にいるのだと感じました。
ニコニコ笑って、楽しく話してくれる相手が実は暴力や犯罪、薬物の問題にさらされている。貧困は「いかにも貧乏人」な人々だけが抱えているわけではないと気づかされます。
『「国語」から旅立って』温又柔
日本で育った台湾人である著者は、長じるにつれ「台湾人なのに中国語を話せない自分」に悩むようになる。高校で中国語を学び、大学でも引き続き中国語を選択するが、その過程でも違和感がなくならなかった。「自分は自分」として著者が自分を受容することができたきっかけとは……。
社会がグローバル化し、移民や難民で他国に移住する人々が増えれば、複数の民族的・言語的ルーツを持つ人は増えるでしょう。そういう社会を迎えるにあたって、参考になる話でした。
ルーツとしては台湾人であるのに、ネイティブほど中国語が上手くならないという葛藤を抱え、また日本で生きるとしても、「自分は日本人ではない」という壁にぶち当たります。そしてその葛藤には中国と台湾の歴史と力関係が影響しています。
この本には自分の民族的ルーツに悩んだことのない人たちの心ない言葉が出て来ます。その発言にぞっとしつつ、自分がそこにいたら何が言えるだろうかと考えてしまうところもあります。「そういうことを言わないで」と言うのも難しいですよね。
『キラキラしてない駐在妻はアメリカでどう暮らしたのか』倉くらの
夫のアメリカ駐在についていったオタク妻は、そこでアメリカの文化に適応するため苦労する。子どもの教育のこと、夫の仕事のこと、日本人同士のつきあいのことなど、アメリカで暮らした人にしかわからないエピソード盛りだくさんのエッセイ。
ブラック企業があったり、付き合いが大変だったり、漠然と「アメリカはこういう国」と思っている部分を覆していきます。一方で、多様な人間が住んでいる前提でシステムが構築されているのはすごいです。移民社会ってこういうものなんですね。
日本人同士だから問題なく話せるわけでもなく、その中でやりにくいこともあるのがリアルでした。
アメリカという国のいいところも悪いところも描いているので、メッセージが押し付けがましくありませんでした。気楽に読める内容です。
『ブラック・カルチャー観察日記』高山マミ
アメリカ出身の黒人と結婚し、彼らのコミュニティに飛び込んだ著者。そこにあったのは、数々のカルチャーショックだった。そこから見えてくる、アメリカの人種問題。日本人の知らない「多民族国家アメリカ」を知る一冊。
印象的だったのが、アメリカはかなりはっきり人種の線引きを引いていることです。
それが差別か、というと必ずしもそうは言えないんですよね。立場的に弱い人たちを守るには、「ここからここまでが身内」という囲いはどうしても必要になります。
たとえ善意であっても、その境界線は簡単に飛び越えてはいけない。わかり合いたいと思っても、仲良くもないのにデリケートな問題に触れてはならない。
黒人社会について辛辣に話しているところもありますが、コミュニティに飛び込んで、自ら身内となったからこそ言えることだろうなと思います。私みたいな赤の他人がこれ言ったら怒られるでしょう。
そういう「身内感」も含めて興味深かったです。
『ものいわぬ農民』大牟羅良
戦後の日本、岩手で行商人をやっていた著者は、そこで農民たちの困窮や、独特の文化、閉鎖的な社会での悩み事を知る。岩手の人々のために役立ちたいと思いながら、インテリ層として人々との距離感に悩む。当時もっとも乳児の死亡率が高かった、岩手の風景とは。
画かれているのは、岩手の家族制度の息苦しさです。ムコやヨメなど、血の繋がらない家族への差別、同調圧力に人生を決められる社会。
第二次世界大戦すら、食べ物が支給され、都会のインテリたちが殴られるのを見られたことから「いい思い出」になってしまいます。それほどの貧しさや都会のインテリたちへの反感があるということなのでしょう。
著者は、岩手の人たちの力になりたいと記者として接触を試みますが、行商として訪れたときと違って困り事を告白してくれなくなります。ご馳走で歓待され、悪い部分を見せてくれなくなり、「よそ者の客」として扱われるのです。
因習だとか蒙昧だとかという言葉で語ることはできない、農村の微妙な精神性を描いたエッセイでした。
仕事
『海獣学者、クジラを解剖する~海の哺乳類の死体が教えてくれること』田島木綿子
日本には、実は多くの海の生き物が漂着(ストランディング)している。海の哺乳類を解剖し研究することが仕事の著者が、解剖の仕事や海の生き物の不思議を紹介する。生物学者は何のために解剖をし、どのように体の中を観察するのか……。
著者は解剖や標本作成を専門とする海獣学者であり、漂着、つまりストランディングした海の生き物を解剖して調べています。
野生の動物の死体を扱う仕事ゆえ、作業は悪臭にまみれています。おまけに力仕事、そしてストランディングの報告があれば駆けつけなければなりません。
メディアで扱う科学者のクールな印象とは裏腹に、とても泥臭く大変な仕事です。
著者自身が、何のために泥臭い仕事をするのか、それがどのように科学に役立つのか、説明してくれるのがよかったです。
『羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季』ジェイムズ・リーバンクス
600年以上続く羊飼いの一族に生まれた著者。ユネスコの仕事をしながら、自分の農場の羊を追っている。風光明媚なイギリス湖水地方の風景とは裏腹に、その仕事は過酷そのものだ。一家の歴史や、生き物相手の重労働、羊飼いの誇りを賭けた品評会でのできごとなど、たくさんの羊の生と死とともに、めぐる四季を描き出す。
全編を通して感じるのは、湖水地方を「ただ美しいもの」として消費する、他の地域の人間への怒りです。
表紙の写真を見てわかるように、湖水地方はとても美しい。美しいからこそ、勝手に「イギリスといえばこの風景」とされて、他の地域から観光に来られて、なぜかそこで生きていない人たちにも湖水地方への帰属意識が生まれてしまいます。
しかし、そこで生きている羊飼いたちに注目が集まることは少ないです。集まられても困るかもしれないけれど。とにかくそこには人がいて、伝統を守り、過酷な労働に従事しているのに、その人々すら写真の中の風景の一部としかみなされません。
おそらくこの本は、農業や畜産をやっている人は私よりもっと共感できるのではないでしょうか。
我々日本人も田園風景を見て「美しい」とは言うけれど、実際その田園で必死で米を作って出荷して生活の糧にしている人のことをよくは知りません。見た目の美しさだけでは、その地域の本質を知ることはできないのだ、と改めて思いました。
『督促OL修行日記』榎本まみ
就職氷河期の時代、著者、榎本まみがなんとか内定をとったのはクレジットカード会社。彼女はそこで、キャッシングの返済を延滞している人たちに督促をする仕事に就く。あまりにブラックな部署に心が折れそうになるが……。
会社自体はそこまでブラックじゃないのに、督促の部署だけ超絶ブラックになっているのが怖すぎましたね。
あまりの待遇の悪さに「早く辞めなよ」と思うんですが、著者が督促を続けていないと、この本が書かれることもなく、私が督促の仕事を知ることもなかったでしょう。
それを思うと、流されて仕事を続けていくということはそんなに悪いことでもないのかもしれません。
人に恨まれ蔑まれているけれど、社会をまわすためには必要な仕事です。陽の当たらない「督促」という仕事はどういうものか知るには良いエッセイでした。
でも知り合いがこの仕事やってたら「そんなブラックな仕事辞めなよ」と言いそうです。そのくらい大変な仕事なんですよね……。
『自民党で選挙と議員をやりました』山内和彦
古いコインを商っていた著者、山内和彦は、ある日市会議員候補の公募に参加しないかと持ち掛けられる。自民党の支援を受けて出馬し、候補者として選挙活動を戦っていくことになったのだが、そこにはさまざまな「決まり」があった。血筋もコネもない人間から見た「出馬」を描く本。
この本には出馬する上でのお金の事情、党との付き合い、自民党独自の候補者支援などが書かれています。本にする上でいくらかマイルドにはなっているとは思いますが、なかなか世知辛い内容が多いです。
たとえば自民党から公認されると公認料として50万円もらえるのですが、このお金はなぜか返さなくてはなりません。何で? 謎の風習すぎます。
それから選挙を戦う上での伴侶の協力。著者の奥さんは仕事をしているので全力でバックアップはできなかったんですが、だからと言って奥さんが顔を出す団体と出さない団体があると「あっちには挨拶してこっちにはないのか」と噂をされるようです。め、めんどくせえ!
こういうわけのわからない非合理的な部分が、選挙にはあるんですよね。他人事ながらめちゃくちゃ効率化したいです。むずむずする。
『タクシードライバー日誌』梁石日
事業に失敗し、逃げるように大阪から東京へやってきた著者。彼が就いた仕事は、タクシードライバーだった。面倒な客とやりやったり、事故に巻き込まれたり、タクシードライバー同士の奇妙な人間関係を観察したり。ハードな仕事を、淡々とした筆致で描き出す日誌風エッセイ。
逆都落ちのように大阪から東京に流れてきた著者も含めて、登場するタクシードライバーは訳ありの人間が多いです。離婚歴があったり、博打癖があったり、酒を飲めば殴り合いのけんかをしたり。
男社会のだめなところ全部煮詰めました! みたいな仕事場で、正直あまり関わりたくない部類の人々です。現代もこうってわけではないでしょうが、「すぐなれるけど過酷だし都合が悪くなればすぐ職を失う仕事」となると訳ありの人間が集まりがちになるのでしょうか。
前述したように著者もそれ以外も倫理のない行動をするのだけれど、語り口がクールで淡々としているのであまり熱くならずに読めました。でも伴侶のことは大事にしてほしい。私は女だからつい奥さんの肩持っちゃうんですけどね。
『古文書返却の旅―戦後史学史の一齣』網野善彦
日本史を研究していた著者は、各地方から借用した古文書が借りたまま返せていないことから、古文書返却の旅に出る。著者は各地を回り、不義理を謝罪しながら、学者の地元民への軽視を考える。日本史研究の負の側面を伝える新書。
学術的な話というよりエッセイですが、それだけに著者の後悔、やらなきゃよかったという感覚が伝わってきて、考えさせられました。
学者はどうしてもアカデミックな話を書かなければならないので、学者の個人的な後悔を知ることは少ないです。だからこそ面白かったです。
古文書返却をおろそかにしてきた理由には、「研究してやっている」という学者特有の驕りがありました。土地の人を研究に協力させておきながら、古文書を返却しないという不義理。著者が自分の不義理に向き合い、各地を旅していくのは印象的でした。
ほとんどの場合、著者が古文書を返しに来ると土地の人は素直に喜んでくれていました。現代だともっと怒る人が多かったかもしれません。
また、古文書返却によって新しい文献が見つかり、日本史における研究の進歩もありました。地元の人との対等でフレンドリーな関係を維持することによって、研究もはかどるのだなと思いました。
『そして生活はつづく』星野源
俳優業、音楽業、文筆業など、マルチに仕事をしている星野源。しかし、その日常は案外情けないものだった。携帯電話料金を払い忘れたり、全裸で風呂掃除をしたり……ささやかに、でも独特に続いていく俳優の生活を描いたエッセイ。
このエッセイのいいところは、ひとりでいることに劣等感を感じさせないところです。
著者はひとり暮らしで、ひとり暮らしのおかしな話をいろいろ書いているのですが、「ひとりである」という気負いがなくてそこが面白いです。
そしてそういう孤独な時間が、何かを作るときのインスピレーションの元になっているのが興味深いですね。
この「ひとりを楽しむ」姿勢は、オタク気質の人には共感しやすいものなのではないかと思います。実際私もすごく共感したし。
「有名人のエッセイ」という固定観念を抜きにして、ちょっと変わった人が生活して、笑い話をして、ときどき哲学する日常エッセイとして読んでほしいです。
LBGTQ
『恋の相手は女の子』室井舞花
13歳で同性である女性に初恋をした著者。女性が女性を好きになることはおかしいことなのだろうか? と悩み、葛藤する。しかし世界一周の船「ピースボート」に参加したことから、自分以外の性的マイノリティに出会う。自分を受け入れられなかった著者の人生は少しずつ変わっていく。
自分が「同性が好き」であることをうまく受け入れられず、葛藤する著者は、ピースボートで同じ同性愛者に出会い、彼女が性的マイノリティにまつわる講演をしていることに衝撃を受けます。
「自分はここにいる」と言っていいのだ、という理解は、少しずつ著者の人生を変えていきます。
思春期の少年少女にとって、「自分は人とは違う」というのは切実な悩みですし、そういう状況で自分と同じような人がマイノリティであることを公表し、発信を続けているということは救いでしょう。人間にはロールモデルやメンターが必要です。それが現れた本でした。
ライフスタイル
『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』藤谷千明
パートナーと別れ、同棲を解消した著者は、家賃の金銭的負担と孤独死の恐怖にさいなまれていた。そこで、似たような悩みを持つオタク同士でルームシェアをすることを思いつく。メンバー探しや物件探し、引っ越しの流れから、実際に暮らしてみた日々のできごとを描いたエッセイ。
印象的だったのは、4人ルームシェアのいい意味での「軽さ」です。
女性4人で仲良く暮らしていても、「一生一緒にいよう」とか「うちらの友情は永遠」とか、湿っぽく熱い友情ではありません。むしろ著者は「この中の誰かが恋に落ちても面白い」とか、「介護が必要になったら一緒に暮らしていくことは難しいだろう」とか、友情について結構あっさりした認識を持っています。
でもそういう一線を引いた付き合いだからこそ、お互い助け合って暮らしていけるのかもしれない、と思います。
面白おかしい内容だけではなく、「同性の友達」で一緒に暮らすことによる世間的なハードルについて書かれていることも興味深かったです。
『「山奥ニート」やってます』石井あらた
とある限界集落。そこで共同生活を送るニートたちがいる。家事をし、最低限の労働をする以外は、アニメを見たりゲームをして暮らしている。ニートたちのリーダー格である著者が、その生活の日々と、「山奥ニート」が発生した由来、社会への思いなどをつづる。
最低限の労働をする以外は遊んで暮らしているような人々に、怒りを覚える人もいるかもしれません。生産性という概念とは真逆を行っていますし。
ただ、地域の人の仕事を手伝ったり、ブログやYouTubeを発信して他人を楽しませたりしているということは、ある意味で役に立っているわけであり、他人がとやかく言う筋合いはありません。
真似したいとは思いませんが、こういう人々がいる世の中の方が多様性があっていいと思います。
後半の山奥ニートたちへのインタビューが一番面白かったです。ニートと言えども事情はいろいろ、価値観も違います。そういう人たちが山奥に集って気楽になったり、やっぱり街に戻ろうと帰ったりするところは興味深いです。
『衝動買い日記』鹿島茂
フランス文学者、鹿島茂は買い物が大好きである。店を物色し、いつも衝動買いをしては、後悔したり、当たりを引いたりしている。腹筋マシーン、猫の家、財布など、著者が購入した「衝動買いグッズ」とその後の使用結果を面白おかしく書いた連作エッセイ。
Amazonのレビュー欄やアプリのレビュー欄、それほど買う気もないのに妙に読みこんでしまう人いませんか? 私がそうです。
このエッセイは「衝動買いをした結果を面白おかしく報告する」というのがテーマです。
著者は大学教授でかなりのインテリですが、買っているものは腹筋マシーン、財布、体脂肪計、猫の家など、かなり庶民的。そして買ったものに対して、やれ失敗だった、やれ使いにくかったと愚痴ったり、反対に愛用したりします。その物語自体には特別なものはないですが、著者の語彙とユーモアが合わさると非常に面白くなります。
買い物のしょうもなさ、その結果のとほほさに逆に笑えるんですよね。
家族
『僕は死なない子育てをする 発達障害と家族の物語』遠藤光太
大学を出てすぐに若くして結婚し、子どもをもうけた著者。しかし強いうつ症状に襲われ、復帰と休職を繰り返してしまう。家族がばらばらになりそうな中、著者は自分が発達障害であることを知った。発達障害の特性を考えながら、家族を再構築していく作業が始まった。
社会人として、労働者として世の中に適応することができずに、うつで家で療養せざるをえなかった著者。「男は外に出て家族を養わなければならない」「既婚の男がアルバイトをしているなんて恥ずかしいことだ」と自分自身のテンプレートな男性観にも悩まされます。
みんなが著者のように、伴侶と和解できるわけではないでしょうし、著者自身も別居や離婚という選択肢を否定していません。それでも迷い苦しみながらも、家族と一緒にいられることができたということはひとつの救いに感じました。
『されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間』鈴木大介
著者、鈴木大介は、情緒不安定で自傷行為を繰り返す恋人と結婚する。自傷行為は鳴りを潜めたものの、片付けや料理ができない、朝起きてくることができない「お妻様」に強いストレスを感じる。ある日ふたりは短期間で病に倒れ、それをきっかけに関係を見直すことになる。
「理解のある夫or妻」と言えば聞こえはいいですが、「理解する」までに紆余曲折を経ている家庭は多いのでしょう。この本はそういう家庭のひとつを描いています。
働きながら家事を一手に引き受けていた著者は、頻繁に「お妻様」に苛立ち、小言を言ったりものに当たったりしてきました。
しかし、自分が脳梗塞になり、その後遺症で苦しんだことで一気に「お妻様」への印象が変わります。
脳梗塞の後遺症が「脳の病」で自分でどうにもできないものであると同時に、発達障害も「脳の病」であることを実感として理解するのです。
理屈ではわかっていても実感するのは難しい、そんな話でした。
『夫が倒れた! 献身プレイが始まった』野田敦子
コピーライターの著者の夫は、倒れ、意識を取り戻す見込みがほとんどない植物状態になってしまった。悲しみに暮れる暇もなく、著者の生活はめまぐるしい勢いで変わっていく。介護をどこまでするかという問題、夫の家族や友人との付き合い、自分の生活の問題など、悲しみとともになんとか生きていかなければならない現実を描いたエッセイ。
愛していた夫が動かぬ植物状態になってしまった困惑、夫の借金の発覚、周囲の無意識の期待につい身構えてしまう自分……。
惑い葛藤し、ときに意地悪になる著者の姿は、感動的なフィクションで描かれる「夫を看病する健気な妻」とは程遠いです。しかしそういう介護者のリアルを書いた作品だからこそ、救われ癒される人はいるのではないでしょうか。
また、つらく悲しい現実だけではなく、介護の日々のささやかな救いも描かれています。
自分を支えてくれた娘のこと、目覚めない夫と還暦祝いをしたこと、同じく意識不明の家族を持つ人々との連帯感、などなど。
愛する人が死に向かっていくのを待つしかない絶望の中でも、人は何気ないことに幸せを感じ、普通の生活を送ることができます。はたから見ると残酷なようでも、それは当事者から見れば救いなのだと感じました。
メンタルヘルス
『絲的ココロエ――「気の持ちよう」では治せない』絲山秋子
双極性障害(躁うつ病)Ⅰ型と長く付き合ってきた著者。現在は感情の起伏をある程度コントロールできている。著者なりに起伏を小さくする工夫や、病気で感じた世の中の生きづらさなどを語るエッセイ集。
メインの双極性障害の話より、世の中に漠然とある「生きづらさ」を的確に言語化しているところが面白かったです。
双極性障害に興味がなかった人にも面白いのではないでしょうか。
逆に、双極性障害についてだけ知りたいという人向けではないかもしれません。
特に「わかる!」となったのは女性性の否定の話。
著者は比較的男性的な容姿をしており、その結果「自分に女性的なものは似合わない」と女性的なものを遠ざけて生きてきました。
しかしうつの状態になったとき、ふとバラの香りの入浴剤や顔のパックをしてみると、意外と心が晴れることに気付きます。自分が遠ざけていたものが、思ったよりもいいものだと感じるのです。
以上です。参考になれば幸いです。
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